密と蜜~命と共に滴り堕ちる大人の恋~
 それから数ヶ月後。

 マスターの武内さんが高齢による体調不良で入院。それに伴い、マーガレットは閉店。

 歴史ある店が一軒消えた……。

 時代はこうして一軒一軒の灯りを消していくんだ、と悲しくなった。

「仕方ないよ」

 龍平はそれしか言わなかった。

 私は武内さんが入院している滝尾病院へお見舞いに行った。私より、武内さんの方が悲しい思いをしているだろう、とマーガレットの花束を持って。

 滝尾病院の個室。

 ベッドの上に横たわる入院着姿の武内さんの身体は私が喫茶店で見ていたその身体の半分くらいに見えた。


「マスター、わかりますか? いつもコーヒーをいただいていた実咲です」

「実咲ちゃん。来てくれてありがとう」

「いいえ。マスターの顔が見たくなって。これ、マーガレット」

「ああ、綺麗だ……。別れた妻が好きだった花なんだよ」


 武内さんの痩せて奥まった目から涙が溢れた。

「えっ……」

 私は単純な人だ。

 何故、喫茶店の名前をマーガレットにしたのか、そんな由来なんて考えもせずマーガレットをお見舞いにと持ってきてしまった。


「すみません!! 思い出させてしまって」

「いや、いや。謝らないでおくれ。実は看護師さんにマーガレットを買ってきてもらおうと思っていたんだ。でも頼みづらくてね……。だから嬉しくて……。嬉し涙なんだよ。本当にありがとう」


 その部屋は病室とはいえ、なにもなく、あまりにも無機質で、医師と看護師しか出入りしていないのだろうと感じた。

 薬品の独特な匂いと冷たい空気感がそれを私に訴えていた。

 マーガレットは別れた奥さんが好きだった花……。お子さんがいるという話も聞いた事がないし、武内さんは天涯孤独な人なのかもしれない。

 マーガレットではいつも誰かの喋り声が聞こえていたのに、ここは静か過ぎる。




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