密と蜜~命と共に滴り堕ちる大人の恋~

 私は包丁が怖くて、国枝さんに料理らしい料理を一度も作る事ができなかった。

 林檎や梨の皮さえ剥けない。

 お米を炊く事、レトルト食品をレンジやお湯で温める事、麺類を茹でる事。三年間でそれくらいしかできなかった。

 国枝さんとは恋人でも家族でもなかったけど、料理を作って国枝さんに食べてほしいという、桃の匂いを醸すような思いが、初めて私の胸の中で芽生えていた。

 だからそうできない事が泣けないくらい苦しかった。

 父に向いていた包丁の刃がいつの間にか私の方に向かっている。それを握っている母の形相が赤鬼へと変わっていく。

 そんな悪夢が螺旋状にループする。

 大人になっても影響が及んでしまうのだ……。


 私は主婦やお母さんにはなれない人なんだと思う。なってはいけない人なんだと思う。



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