炎獄の娘
15・冷たい再会
「おかあ……さま?」
アトラウスには、目の前の光景の意味がすぐには解らない。母は……いつも彼の姿を見れば抱きしめてくれた母は、ぴくりともせず倒れたままである。室に足を踏み入れた途端、靴の裏に赤黒く乾きかけたものがこびりついた。アトラウスはぼうっとなりながら、母の身体の下の血溜まりを見つめた。この、赤いものは、血? お母さまは、怪我をしているのだろうか。
「お母さま……だいじょうぶ?」
震えながらアトラウスは母親に近づいた。シルヴィアはまったく動かない。ほどけた黄金色の髪が伏した細い身体を覆うように広がり、こびりついた血液は黒く固く変色してきている。横を向いて床に倒れたその貌を、アトラウスは怖々近づいて覗き込んだ。
シルヴィアの瞳は半開きのまま、黄金色は光を失いどんよりと曇っている。その唇は微かな笑みを浮かべているように見えなくもないが、表情は強張り、不気味とも思える冷たさを湛えている。何よりも大切な母親の見たこともない姿に怯えるばかりで、五歳のアトラウスの心は彼女の死を受け入れる事が出来なかった。
「おかあさま……ね、おきて? ぼく、帰ってきたよ。とっても、たのしかったんだ……」
涙声で語りかけ、アトラウスはシルヴィアを揺り起こそうとした。
その時、突然室内に知らない男の声が響いた。
「触れるな!」
びくりとしてアトラウスは後ずさった。今までまったく気がつかなかったのだが、寝台の向こうに男が立っていた。
法衣を纏った背の高い若い男。黄金色の髪と瞳。だが、その瞳は、父とも伯父とも違う鋭さと険しさを浮かべている。
「だ……だれ?」
か細い声でアトラウスは問うた。大人であれば誰でも、その容姿と服装から、男の身分がすぐに判ることだが、世間知らずな幼子には判らない。
「わたしはルルア大神官ダルシオン・ヴィーン。そなたが……アトラウスか?」
冷たい視線が品定めをするように、怯えきったアトラウスを捉えている。
「は……はい……」
小さな声でアトラウスは答えた。大神官がとても偉い人である事くらいは知っている。そして、とても強い魔力を持つ人だという事も。勇気を振り絞って、アトラウスは縋るように言った。
「あの……お母さまはどうしたんですか? お母さまをたすけてください!」
ダルシオンは無表情のまま、首を横に振った。そしてきっぱりと言い放った。
「そなたの母は、シルヴィアは、死んだのだ。死んだ者を蘇らせることは、出来ぬ」
「……」
それは、救いを求めた幼子に対して、あまりに惨い応え……。どんなに幼かろうと、真実から逃れてはならぬ、とはダルシオンの考えであったが、そこには何の情けもない。彼は更に追い打ちをかけるように告げた。
「そなたの母は、そなたを今の境遇から救い出す為に自害したのだ。おかげでようやく、おまえの父はおまえを我が子と認めた。母の愛に感謝するがいい」
ひくり、とアトラウスは息を吸い込もうとした。だが、うまく空気が飲み込めない。アトラウスは、呼吸の仕方を忘れてしまった。
おかあさま……しんでしまった? あとから来るって、やくそくしたのに?
おかあさま……もういない? もう来ない? もう抱っこしてくれない?
ここに寝ているのはだれなの? おかあさまじゃないの? おかあさまみたいだけれどおかあさまじゃない。おばけみたいにかたくて冷たくて、怖い。
じがい、ってなに? おかあさまは、じぶんでじぶんを、ころしたの?
こんなにこんなに血がいっぱいでて……どんなに痛かったの、おかあさま?
そして、おかあさまがそんなことをしたのは、ぼくの、せい……?
大きな音を立てて壊れた扉が開き、アトラウスの後を追ってアルフォンスが飛び込んできた。
「シルヴィア! アトラウス!」
シルヴィアの骸とその傍で失神しかけている幼い甥、そしてむっつりとした表情の大神官を見て、アルフォンスはだいたいの状況を悟った。馬車に乗る前にカレリンダが囁いてくれた事で、いくばくか覚悟は出来ていたが、それにしてもこの状況は凄惨だ。そして、よりによって、アトラウスがそれを見てしまうなど。
「なんてことだ! 可哀想に、シルヴィア、アトラウス。……アトラウス?」
真っ青な顔のアトラウスは、しかしもう、怯えても震えてもいない。目を見開いたまま、母の亡骸を凝視したまま、微動もしない。アトラウスが息をしていないのに気づき、慌ててアルフォンスはアトラウスの背を叩き、揺すった。
「アトラウス! アトラウス!」
伯父の大声の呼びかけに、アトラウスの身体はびくっと痙攣し、ふうっと大きく息をした。
「……なに? おじさま?」
掠れた声でアトラウスは応えた。とりあえず正気は保っているようだ。哀れな甥をアルフォンスはぎゅっと抱き締めた。
「可哀想に、アトラウス。お母さまにも、色々お考えがあったのだよ。後でまたきちんとお別れをしよう。だが今はもうここにいてはいけないよ。ああ、身体が冷え切っている。温かい飲み物を用意させるから、下へ……」
「いらない!」
急にはっきりした声でアトラウスは叫んだ。
「ぼくはなんにもいらない! おかあさましかいらない! 伯父さまのせいだ.! 伯父さまがぼくを連れて行ったから、お母さまは……!」
「アトラウス……!!」
幼子の言葉は氷の矢のようにアルフォンスの胸に刺さった。そうだ、確かにこの子の言う通り。一時の感情に任せてアトラウスを保護したから、シルヴィアはこんな暴挙に……無理にでもシルヴィアも連れて行き、侍女頭にずっと様子を見させるべきだった。あんなに思い詰めた目をしていたのに、また見放してしまった……そんなつもりじゃなかった。夜中に系図を調べて、こんな例もかつてあったと確認し、これで母子を救えるかも……温かい家庭が戻るかもと、思っていたのに。
「アトラウス……」
アルフォンスは何を言ってよいのか解らない。許してくれとも言えない。
「済まない……」
ただ、そう言うしか、なかった。
「そんな子どもに、何を頭を下げているのだ。ルーン公ともあろう者が、情けない!」
ぴしりと鞭打つような厳しい声がした。ダルシオンは冷ややかな目でアルフォンスを見ていた。このアルマヴィラで、領主であるアルフォンスにそんな口がきけるのは彼くらいである。
しかしアルフォンスは、自分の短慮を詫びる事が情けない事だとは思わない。いくら子どもが相手でも、あやふやな態度で誤魔化したり、高圧的に黙らせたりするのは彼の性に全く合わないのだ。あの時はあれが最善のことだと思った、などと言っても仕方がない。詫びたとてシルヴィアが生き返る訳でもないが、詫びずにはいられない。
「相手が子どもでも、自らに落ち度があれば謝るのは当然のことと思いますが」
「そなたに落ち度はない、と言っているのだ」
アルフォンスはやや怪訝な面持ちで大神官を見返した。ダルシオンに好意を持たれていない事は解っている。彼は何が言いたいのか?
「アトラウス! 他人のせいにするな。そなたの母は、自らの意志で、そなたの為に命を絶ったのだ。そのこと、忘れるでない。そなたはこれより、母の犠牲によって、正しく生かされてゆくのだ」
「猊下! そのようなこと、こんな幼子に……あまりに酷い言いよう!」
アルフォンスは顔色を変えてダルシオンに詰め寄った。アトラウスが、シルヴィアの死が自分のせいだと思うよりは、伯父のせいだと思う方が余程ましだと思っているのに。
「どんなに幼かろうと、真実から逃れることは出来ぬ。真実に耐えうる事が出来ねば、それはこの子どもがそれだけの器量だったというだけの事だ」
「まだ、五歳なのですよ、アトラウスは!」
「年齢は関係ないと言っておろうが!」
「関係ない訳ないでしょう! 五歳といえば、あなたもわたしも母親に甘えていた歳だ!」
ふん、とダルシオンは鼻で笑う。
「母親に甘えた記憶などわたしにはない。物心ついた時から、ひたすら研鑽していた。そなた、甘すぎる」
「アトラウスは普通の生い立ちではないのです。この子にとって、シルヴィアは世界のすべてだった」
大人たちの口論は、アトラウスの心の表層を通り過ぎていくばかり。言葉には何の意味もない。ただ、母が変わり果てた、それだけがすべてだった。お母さまはぼくの為に? ぼくは、あの部屋にいる事がそんなにまでいやだと思った事もなかったのに。いやなのは、お母さまと一緒にいられなかった事だけだ。そして、これからもうずっと、お母さまと一緒にはいられない……。
突然、アトラウスは立ち上がり、アルフォンスの脇をすり抜けて部屋を飛び出した。そこに横たわっているのは、お母さまの形をしたなにかであって、お母さまじゃない。もう、これ以上見ていたくなかった。
「アトラウス!」
階下でカルシスが呼び止めたが、アトラウスは見向きもしなかった。あの部屋に戻らなくては。あそこから出たからこんな事になった。あの部屋でいい子で待っていたら、何もなかった事になるかも知れない。お父さまは叩き、お母さまは抱き締める、あの生活が戻ってくるかも知れない!
飛ぶように花園を駆け抜け、離れに辿り着くと、脇目も振らずに階段を駆け下りてあの部屋の扉を開けた。オルガは、倒した台と壊れたものを綺麗に片付けてくれていた。だが、アトラウスは周りも見ずに、寝台に飛び込み、布団をかぶった。お母さまが迎えに来てくれるまで、もうここから出ない。かたく胸に誓った。何も食べず、何も飲まずにここにいたら、きっとそうなるだろう、幼心におぼろに、かれはそう感じていた。
アトラウスには、目の前の光景の意味がすぐには解らない。母は……いつも彼の姿を見れば抱きしめてくれた母は、ぴくりともせず倒れたままである。室に足を踏み入れた途端、靴の裏に赤黒く乾きかけたものがこびりついた。アトラウスはぼうっとなりながら、母の身体の下の血溜まりを見つめた。この、赤いものは、血? お母さまは、怪我をしているのだろうか。
「お母さま……だいじょうぶ?」
震えながらアトラウスは母親に近づいた。シルヴィアはまったく動かない。ほどけた黄金色の髪が伏した細い身体を覆うように広がり、こびりついた血液は黒く固く変色してきている。横を向いて床に倒れたその貌を、アトラウスは怖々近づいて覗き込んだ。
シルヴィアの瞳は半開きのまま、黄金色は光を失いどんよりと曇っている。その唇は微かな笑みを浮かべているように見えなくもないが、表情は強張り、不気味とも思える冷たさを湛えている。何よりも大切な母親の見たこともない姿に怯えるばかりで、五歳のアトラウスの心は彼女の死を受け入れる事が出来なかった。
「おかあさま……ね、おきて? ぼく、帰ってきたよ。とっても、たのしかったんだ……」
涙声で語りかけ、アトラウスはシルヴィアを揺り起こそうとした。
その時、突然室内に知らない男の声が響いた。
「触れるな!」
びくりとしてアトラウスは後ずさった。今までまったく気がつかなかったのだが、寝台の向こうに男が立っていた。
法衣を纏った背の高い若い男。黄金色の髪と瞳。だが、その瞳は、父とも伯父とも違う鋭さと険しさを浮かべている。
「だ……だれ?」
か細い声でアトラウスは問うた。大人であれば誰でも、その容姿と服装から、男の身分がすぐに判ることだが、世間知らずな幼子には判らない。
「わたしはルルア大神官ダルシオン・ヴィーン。そなたが……アトラウスか?」
冷たい視線が品定めをするように、怯えきったアトラウスを捉えている。
「は……はい……」
小さな声でアトラウスは答えた。大神官がとても偉い人である事くらいは知っている。そして、とても強い魔力を持つ人だという事も。勇気を振り絞って、アトラウスは縋るように言った。
「あの……お母さまはどうしたんですか? お母さまをたすけてください!」
ダルシオンは無表情のまま、首を横に振った。そしてきっぱりと言い放った。
「そなたの母は、シルヴィアは、死んだのだ。死んだ者を蘇らせることは、出来ぬ」
「……」
それは、救いを求めた幼子に対して、あまりに惨い応え……。どんなに幼かろうと、真実から逃れてはならぬ、とはダルシオンの考えであったが、そこには何の情けもない。彼は更に追い打ちをかけるように告げた。
「そなたの母は、そなたを今の境遇から救い出す為に自害したのだ。おかげでようやく、おまえの父はおまえを我が子と認めた。母の愛に感謝するがいい」
ひくり、とアトラウスは息を吸い込もうとした。だが、うまく空気が飲み込めない。アトラウスは、呼吸の仕方を忘れてしまった。
おかあさま……しんでしまった? あとから来るって、やくそくしたのに?
おかあさま……もういない? もう来ない? もう抱っこしてくれない?
ここに寝ているのはだれなの? おかあさまじゃないの? おかあさまみたいだけれどおかあさまじゃない。おばけみたいにかたくて冷たくて、怖い。
じがい、ってなに? おかあさまは、じぶんでじぶんを、ころしたの?
こんなにこんなに血がいっぱいでて……どんなに痛かったの、おかあさま?
そして、おかあさまがそんなことをしたのは、ぼくの、せい……?
大きな音を立てて壊れた扉が開き、アトラウスの後を追ってアルフォンスが飛び込んできた。
「シルヴィア! アトラウス!」
シルヴィアの骸とその傍で失神しかけている幼い甥、そしてむっつりとした表情の大神官を見て、アルフォンスはだいたいの状況を悟った。馬車に乗る前にカレリンダが囁いてくれた事で、いくばくか覚悟は出来ていたが、それにしてもこの状況は凄惨だ。そして、よりによって、アトラウスがそれを見てしまうなど。
「なんてことだ! 可哀想に、シルヴィア、アトラウス。……アトラウス?」
真っ青な顔のアトラウスは、しかしもう、怯えても震えてもいない。目を見開いたまま、母の亡骸を凝視したまま、微動もしない。アトラウスが息をしていないのに気づき、慌ててアルフォンスはアトラウスの背を叩き、揺すった。
「アトラウス! アトラウス!」
伯父の大声の呼びかけに、アトラウスの身体はびくっと痙攣し、ふうっと大きく息をした。
「……なに? おじさま?」
掠れた声でアトラウスは応えた。とりあえず正気は保っているようだ。哀れな甥をアルフォンスはぎゅっと抱き締めた。
「可哀想に、アトラウス。お母さまにも、色々お考えがあったのだよ。後でまたきちんとお別れをしよう。だが今はもうここにいてはいけないよ。ああ、身体が冷え切っている。温かい飲み物を用意させるから、下へ……」
「いらない!」
急にはっきりした声でアトラウスは叫んだ。
「ぼくはなんにもいらない! おかあさましかいらない! 伯父さまのせいだ.! 伯父さまがぼくを連れて行ったから、お母さまは……!」
「アトラウス……!!」
幼子の言葉は氷の矢のようにアルフォンスの胸に刺さった。そうだ、確かにこの子の言う通り。一時の感情に任せてアトラウスを保護したから、シルヴィアはこんな暴挙に……無理にでもシルヴィアも連れて行き、侍女頭にずっと様子を見させるべきだった。あんなに思い詰めた目をしていたのに、また見放してしまった……そんなつもりじゃなかった。夜中に系図を調べて、こんな例もかつてあったと確認し、これで母子を救えるかも……温かい家庭が戻るかもと、思っていたのに。
「アトラウス……」
アルフォンスは何を言ってよいのか解らない。許してくれとも言えない。
「済まない……」
ただ、そう言うしか、なかった。
「そんな子どもに、何を頭を下げているのだ。ルーン公ともあろう者が、情けない!」
ぴしりと鞭打つような厳しい声がした。ダルシオンは冷ややかな目でアルフォンスを見ていた。このアルマヴィラで、領主であるアルフォンスにそんな口がきけるのは彼くらいである。
しかしアルフォンスは、自分の短慮を詫びる事が情けない事だとは思わない。いくら子どもが相手でも、あやふやな態度で誤魔化したり、高圧的に黙らせたりするのは彼の性に全く合わないのだ。あの時はあれが最善のことだと思った、などと言っても仕方がない。詫びたとてシルヴィアが生き返る訳でもないが、詫びずにはいられない。
「相手が子どもでも、自らに落ち度があれば謝るのは当然のことと思いますが」
「そなたに落ち度はない、と言っているのだ」
アルフォンスはやや怪訝な面持ちで大神官を見返した。ダルシオンに好意を持たれていない事は解っている。彼は何が言いたいのか?
「アトラウス! 他人のせいにするな。そなたの母は、自らの意志で、そなたの為に命を絶ったのだ。そのこと、忘れるでない。そなたはこれより、母の犠牲によって、正しく生かされてゆくのだ」
「猊下! そのようなこと、こんな幼子に……あまりに酷い言いよう!」
アルフォンスは顔色を変えてダルシオンに詰め寄った。アトラウスが、シルヴィアの死が自分のせいだと思うよりは、伯父のせいだと思う方が余程ましだと思っているのに。
「どんなに幼かろうと、真実から逃れることは出来ぬ。真実に耐えうる事が出来ねば、それはこの子どもがそれだけの器量だったというだけの事だ」
「まだ、五歳なのですよ、アトラウスは!」
「年齢は関係ないと言っておろうが!」
「関係ない訳ないでしょう! 五歳といえば、あなたもわたしも母親に甘えていた歳だ!」
ふん、とダルシオンは鼻で笑う。
「母親に甘えた記憶などわたしにはない。物心ついた時から、ひたすら研鑽していた。そなた、甘すぎる」
「アトラウスは普通の生い立ちではないのです。この子にとって、シルヴィアは世界のすべてだった」
大人たちの口論は、アトラウスの心の表層を通り過ぎていくばかり。言葉には何の意味もない。ただ、母が変わり果てた、それだけがすべてだった。お母さまはぼくの為に? ぼくは、あの部屋にいる事がそんなにまでいやだと思った事もなかったのに。いやなのは、お母さまと一緒にいられなかった事だけだ。そして、これからもうずっと、お母さまと一緒にはいられない……。
突然、アトラウスは立ち上がり、アルフォンスの脇をすり抜けて部屋を飛び出した。そこに横たわっているのは、お母さまの形をしたなにかであって、お母さまじゃない。もう、これ以上見ていたくなかった。
「アトラウス!」
階下でカルシスが呼び止めたが、アトラウスは見向きもしなかった。あの部屋に戻らなくては。あそこから出たからこんな事になった。あの部屋でいい子で待っていたら、何もなかった事になるかも知れない。お父さまは叩き、お母さまは抱き締める、あの生活が戻ってくるかも知れない!
飛ぶように花園を駆け抜け、離れに辿り着くと、脇目も振らずに階段を駆け下りてあの部屋の扉を開けた。オルガは、倒した台と壊れたものを綺麗に片付けてくれていた。だが、アトラウスは周りも見ずに、寝台に飛び込み、布団をかぶった。お母さまが迎えに来てくれるまで、もうここから出ない。かたく胸に誓った。何も食べず、何も飲まずにここにいたら、きっとそうなるだろう、幼心におぼろに、かれはそう感じていた。