炎獄の娘
3・出会い
「わあ! かわいい!」
ほの暗い部屋の中は、まるで玩具の国のようだった。ぬいぐるみや積み木や絵本がところ狭しと並んでいる。背丈ほどもある大きなくまのぬいぐるみに、ユーリンダの視線は釘付けになった。ファルシスも、揃って並んでいるブリキの兵隊に目を奪われた。公子と公女である二人は、勿論選りすぐりの高級な玩具をいくつも持ってはいたが、甘やかしになる程には与えられてはいない。玩具を部屋に並べっぱなしにする事もない。玩具のうず高く積まれた部屋を、まるで夢の国にでも来たかのような気持ちでふたりは見回した。だが、素敵な夢の国にしてはこの部屋は暗すぎる、とユーリンダは思った。明るいのが苦手な妖精さんなのかしら? それにしても、妖精さん……さっきの声の主は、どこにいるのだろう?
ファルシスは、微かな息遣いを感じた。絵本棚の陰だ。その横には小テーブルが倒れ、割れた水差しの欠片が散らばっている。
「そこにいるの、だれ?」
彼は手にしたランプをそちらへ向けて言った。
「いるの、わかってるんだぞ!」
「……」
応えはない。
「ファル、妖精さんを怖がらせちゃだめよ」
「妖精じゃないよ、ユーリィ。妖精がおもちゃで遊ぶわけないじゃないか」
「えっ……」
ユーリンダは顔をこわばらせて後ずさった。こんな可愛い部屋にいるのはきっと可愛い妖精だと思い込んでいたのだ。
「大丈夫だよ、向こうがぼくらを怖がってるんだから、怖くないよ」
そう言うと、ファルシスは思い切って踏み出して、絵本棚の陰を照らし出した。
「……!!」
照らし出されたのは、男の子だった。痩せて小さかったので、ファルシスは自分より年下だと思った。ランプの灯りから逃れようとするかのように、顔を隠している。その胸のあたりまで伸びているのは、艶やかな闇色の髪だった。
「私たちと同じくらいの子じゃない」
恐る恐る見ていたユーリンダが言った。彼女は不意に思いついた。
「ねえ、あなた、アトラウスじゃないの?」
叔父の家には、同じくらいの歳のいとこがいると聞かされていた。そして目の前に、同じくらいの歳の子供がいる。単に、それだけの理由だった。だが、
「ちがうよ」
言ったのはファルシスだった。
「アトラウスなら、ぼくたちと同じ、黄金色の髪の筈だよ。この子の髪は黒いじゃないか。いとこじゃないよ」
未だ分別も稚く、相手の気持ちに充分に配慮することなどできない四歳である。わけ隔てなく民に接する父の姿をいつも見ているから、公子であっても他者を蔑視するこころなどまったく持っていない。黒髪だから劣っているなど、思いもしない。ただ、見たままの事実を述べ、ルーン一族であるアトラウスは黄金色の髪と瞳だと思い込んでいるからそう言ったまでである。黒髪と黒い瞳は、アルマヴィラの民のごく一般的な特徴であり、珍しくもなんともない。ファルシスはあまりに当たり前の事を言ったつもりだったので、そのあと長い間、自分のこの言葉を忘れていた。ある時ふと、この事を思い出し、そして、随分後悔したものだった。
ユーリンダとファルシスのやりとりに、黒髪の少年はびくりと身体を震わせた。
「どうしたのさ。きみ、もしかしてお仕置きでここに閉じ込められているの? いいなあ、この部屋。ぼくも何日か入れられてみたいな」
笑いながらファルシスは言った。だが、何の悪意もない言葉のすべてが、黒髪の少年には、棘になって刺さった。
「やめてよファル、この子怖がっているんだから。ねえ、私たち、何もしないわ。怖がらないで、お顔を見せて?」
ユーリンダは、優しく少年の腕に触れた。
「……?!」
瞬間。みえない電撃がふたりを貫いた。ユーリンダはそう感じた。少年も感じたようで、顔を隠すのも忘れ、驚いたように辺りを見回した。ふたりの目と目が合った。黄金色の瞳と、闇色の瞳が。ユーリンダは思った、なんて綺麗な夜の色の目なんだろう、と。少年は思った、なんて眩しい光の目なんだろう、と。少年にとってそれは、両親の瞳の色だ。たまにしか見られないけれど、見知らないものではない。少年はユーリンダの手をとった。
「きみ、ユーリンダなの?」
母から聞かされていた。ファルシスとユーリンダ、黄金色の髪と瞳を持つ、双子のいとこの話を。会える日が来るとは、まったく思っていなかったけれども。
「私、ユーリンダよ。あなた、アトラウスなの?」
ユーリンダは、同じ四歳の兄よりずっと、世の中の仕組みがわかっていない。髪や瞳の色の違いが何なのだろう。綺麗なのが一番いいじゃないの。この子の瞳は本当に綺麗な色だわ。
「うん」
伏せ目がちに少年は応えた。言っていいものかと迷いながらも、今はユーリンダの問いに答えたいという気持ちが勝った。
「ぼく、アトラウス・ルーンだよ」
「やっぱり」
ユーリンダは微笑んだ。アトラウスもつられて笑った。
「嘘だろう。だいたい、アトラウスはお話ししたり歩いたりする事もできない子だって、お父さまが言ってたぞ」
ファルシスは頑なに言い張った。アトラウスの笑顔はすぐに消え、また元の怯えた表情に戻って目を伏せた。
「それはきっと、ぼくのお父さまが伯父さまにそう言ったからだろう。ぼくは出来損ないだから、ほんとはルーンの名を名乗る資格はないんだ」
会う毎に父に言われることをアトラウスはそのままに言う。
「できそこない、ってなに?」
聞き慣れない言葉に、ユーリンダは首を傾げる。
「ルーン家に生まれたのに、黄金色を持っていない、っていうことだよ」
「じゃあきみは、ほんとうにカルシス叔父さまの子どものアトラウスなの?」
驚きの目でファルシスはまじまじとアトラウスを見つめる。アトラウスは悲しげに頷いた。
「どうして黄金色じゃないといけないの?」
ユーリンダの問いに、アトラウスはちょっと怒ったようだった。
「どうして当たり前のことを聞くの? ルーン家の者はみんな黄金色を持ってる。きみだって、そんな綺麗な黄金色の髪と瞳を持っているじゃないか。ぼくはずうっと、こんな風に生まれてしまったことで、お父さまに怒られ、お母さまを悲しませてきた。ぼくなんか、生まれてこなければよかったんだ」
泣きそうになりながらアトラウスは言う。まだ五歳なのに「生まれてこなければよかった」と言うアトラウスの傷つきすぎた心を、しかし、愛情と喜びに満たされた暮らしを送っている四歳の双子には、理解する術もなかった。いとこ同士でありながら、双子とアトラウスは、明と暗、光と闇、真逆の世界をみて育ってきたと言ってよかった。
「どうして? こんなに綺麗な夜の色の髪と瞳なのに。私はこの色、好きよ」
その言葉に、アトラウスは深い猜疑心をあらわにした。そんなこと、言われたことがない。父は常にこの色を蔑み、母はいつもこの色を嘆いていた。世話係のオルガも、時々眉を顰めて自分を見る。これは罪の色だといつか父は言っていた。この色が綺麗だなんて、あり得ない。
「きみは恵まれているからそんなことが言えるんだ。お父さまやお母さまに大事にされているんだろう?」
「そうだよ、ユーリィ」
事情が飲み込めてきたファルシスは、無邪気な妹の発言を制した。
「カルシス叔父さまとシルヴィア叔母さまの子どもなのに黒髪と黒目だなんて、つらいことなんだよ。もしかして、それでここに閉じ込められているの?」
「そうだよ。ぼくなんか人前には出せないって言われて。三歳の誕生日から、お母さまと離されてここに一人でいるんだよ」
「この部屋に、たったひとりで? アトラウス、五歳なんでしょう? 三歳からずっと?」
アトラウスは頷いた。
「時々、お父さまが見に来て怒ったり、お母さまがこっそり会いに来てくれるけど、ほとんど、ひとりでいる。お世話はオルガがしてくれる。玩具も本もある。でも、寂しい。もっと、お母さまといたい……」
「だったら、そう言ってみないといけないわ、カルシス叔父さまに」
「言ったこともあるよ。でも、殴られただけだった。出来損ないが何を言う、って。お母さまは時々、お父さまがお帰りにならない夜にこっそり会いに来てくれる。でも、いつかはわからない。だからさっき、きみたちが来た時、お母さまが来てくれたかと思ったのに」
「アトラウス、きみ、こんなところに閉じ込められるなんておかしいよ。きみが悪い訳でもないのにさ。お父さまはきっと、カルシス叔父さまにお話しして、きみを自由にしてくれると思う」
アトラウスは首を横に振った。
「お願い、ぼくと会ったなんて言わないで。ぼくは今のままでいいんだ。時々、お母さまが会いに来て下されさえすれば」
「まあ、このままなんていけないわ。お外はとっても明るくて広いのよ。一緒に行きましょうよ。綺麗なお花がたくさん咲いているわ」
「お花なんかどうでもいいよ。ぼくはここから出ちゃいけないんだ。会ったこと、絶対、内緒だよ」
「いやよ、お父さまにお願いするわ。あなたを出してあげる。そうしたら、いつでもシルヴィア叔母さまといられるじゃない」
「……」
この言葉に、アトラウスの心は少し動かされたようだった。だが少し考えて、やはりかれは首を横に振った。
「だめだ、お父さまがお許しになる筈がない。お父さまがお怒りになると、お母さまが悲しまれる」
「でも、私たちのお父さまは、あなたのお父さまのお兄さまなのよ。そして、困っている人には絶対に力を貸してくれるのよ。大丈夫よ」
「そうだよ、お父さまはルーン公爵だ。このアルマヴィラで一番偉いんだ。そして、間違った事は絶対そのままにしてはおかないんだ」
誇らしげにふたごは言った。だが、アトラウスはアルフォンスを知らない。アトラウスにとって、ルーン公爵アルフォンスは、母親を裏切った男だという悪印象がすべてだった。それに彼にとっては父親が絶対的な存在で、その意志を覆す事ができる者がいるなど、容易く信じる事は出来なかった。
「いいんだよ、別にぼくのお父さまは間違ってなんかいない。ぼくは出来損ないだからここにいる方がいいんだよ」
「だめよ! あなたのお母さまはきっと、あなたがお父さまに閉じ込められている方がいいとは思っていない筈よ?」
「……! そう……かな?」
ユーリンダのその言葉は、確かにアトラウスの心を動かした。
ほの暗い部屋の中は、まるで玩具の国のようだった。ぬいぐるみや積み木や絵本がところ狭しと並んでいる。背丈ほどもある大きなくまのぬいぐるみに、ユーリンダの視線は釘付けになった。ファルシスも、揃って並んでいるブリキの兵隊に目を奪われた。公子と公女である二人は、勿論選りすぐりの高級な玩具をいくつも持ってはいたが、甘やかしになる程には与えられてはいない。玩具を部屋に並べっぱなしにする事もない。玩具のうず高く積まれた部屋を、まるで夢の国にでも来たかのような気持ちでふたりは見回した。だが、素敵な夢の国にしてはこの部屋は暗すぎる、とユーリンダは思った。明るいのが苦手な妖精さんなのかしら? それにしても、妖精さん……さっきの声の主は、どこにいるのだろう?
ファルシスは、微かな息遣いを感じた。絵本棚の陰だ。その横には小テーブルが倒れ、割れた水差しの欠片が散らばっている。
「そこにいるの、だれ?」
彼は手にしたランプをそちらへ向けて言った。
「いるの、わかってるんだぞ!」
「……」
応えはない。
「ファル、妖精さんを怖がらせちゃだめよ」
「妖精じゃないよ、ユーリィ。妖精がおもちゃで遊ぶわけないじゃないか」
「えっ……」
ユーリンダは顔をこわばらせて後ずさった。こんな可愛い部屋にいるのはきっと可愛い妖精だと思い込んでいたのだ。
「大丈夫だよ、向こうがぼくらを怖がってるんだから、怖くないよ」
そう言うと、ファルシスは思い切って踏み出して、絵本棚の陰を照らし出した。
「……!!」
照らし出されたのは、男の子だった。痩せて小さかったので、ファルシスは自分より年下だと思った。ランプの灯りから逃れようとするかのように、顔を隠している。その胸のあたりまで伸びているのは、艶やかな闇色の髪だった。
「私たちと同じくらいの子じゃない」
恐る恐る見ていたユーリンダが言った。彼女は不意に思いついた。
「ねえ、あなた、アトラウスじゃないの?」
叔父の家には、同じくらいの歳のいとこがいると聞かされていた。そして目の前に、同じくらいの歳の子供がいる。単に、それだけの理由だった。だが、
「ちがうよ」
言ったのはファルシスだった。
「アトラウスなら、ぼくたちと同じ、黄金色の髪の筈だよ。この子の髪は黒いじゃないか。いとこじゃないよ」
未だ分別も稚く、相手の気持ちに充分に配慮することなどできない四歳である。わけ隔てなく民に接する父の姿をいつも見ているから、公子であっても他者を蔑視するこころなどまったく持っていない。黒髪だから劣っているなど、思いもしない。ただ、見たままの事実を述べ、ルーン一族であるアトラウスは黄金色の髪と瞳だと思い込んでいるからそう言ったまでである。黒髪と黒い瞳は、アルマヴィラの民のごく一般的な特徴であり、珍しくもなんともない。ファルシスはあまりに当たり前の事を言ったつもりだったので、そのあと長い間、自分のこの言葉を忘れていた。ある時ふと、この事を思い出し、そして、随分後悔したものだった。
ユーリンダとファルシスのやりとりに、黒髪の少年はびくりと身体を震わせた。
「どうしたのさ。きみ、もしかしてお仕置きでここに閉じ込められているの? いいなあ、この部屋。ぼくも何日か入れられてみたいな」
笑いながらファルシスは言った。だが、何の悪意もない言葉のすべてが、黒髪の少年には、棘になって刺さった。
「やめてよファル、この子怖がっているんだから。ねえ、私たち、何もしないわ。怖がらないで、お顔を見せて?」
ユーリンダは、優しく少年の腕に触れた。
「……?!」
瞬間。みえない電撃がふたりを貫いた。ユーリンダはそう感じた。少年も感じたようで、顔を隠すのも忘れ、驚いたように辺りを見回した。ふたりの目と目が合った。黄金色の瞳と、闇色の瞳が。ユーリンダは思った、なんて綺麗な夜の色の目なんだろう、と。少年は思った、なんて眩しい光の目なんだろう、と。少年にとってそれは、両親の瞳の色だ。たまにしか見られないけれど、見知らないものではない。少年はユーリンダの手をとった。
「きみ、ユーリンダなの?」
母から聞かされていた。ファルシスとユーリンダ、黄金色の髪と瞳を持つ、双子のいとこの話を。会える日が来るとは、まったく思っていなかったけれども。
「私、ユーリンダよ。あなた、アトラウスなの?」
ユーリンダは、同じ四歳の兄よりずっと、世の中の仕組みがわかっていない。髪や瞳の色の違いが何なのだろう。綺麗なのが一番いいじゃないの。この子の瞳は本当に綺麗な色だわ。
「うん」
伏せ目がちに少年は応えた。言っていいものかと迷いながらも、今はユーリンダの問いに答えたいという気持ちが勝った。
「ぼく、アトラウス・ルーンだよ」
「やっぱり」
ユーリンダは微笑んだ。アトラウスもつられて笑った。
「嘘だろう。だいたい、アトラウスはお話ししたり歩いたりする事もできない子だって、お父さまが言ってたぞ」
ファルシスは頑なに言い張った。アトラウスの笑顔はすぐに消え、また元の怯えた表情に戻って目を伏せた。
「それはきっと、ぼくのお父さまが伯父さまにそう言ったからだろう。ぼくは出来損ないだから、ほんとはルーンの名を名乗る資格はないんだ」
会う毎に父に言われることをアトラウスはそのままに言う。
「できそこない、ってなに?」
聞き慣れない言葉に、ユーリンダは首を傾げる。
「ルーン家に生まれたのに、黄金色を持っていない、っていうことだよ」
「じゃあきみは、ほんとうにカルシス叔父さまの子どものアトラウスなの?」
驚きの目でファルシスはまじまじとアトラウスを見つめる。アトラウスは悲しげに頷いた。
「どうして黄金色じゃないといけないの?」
ユーリンダの問いに、アトラウスはちょっと怒ったようだった。
「どうして当たり前のことを聞くの? ルーン家の者はみんな黄金色を持ってる。きみだって、そんな綺麗な黄金色の髪と瞳を持っているじゃないか。ぼくはずうっと、こんな風に生まれてしまったことで、お父さまに怒られ、お母さまを悲しませてきた。ぼくなんか、生まれてこなければよかったんだ」
泣きそうになりながらアトラウスは言う。まだ五歳なのに「生まれてこなければよかった」と言うアトラウスの傷つきすぎた心を、しかし、愛情と喜びに満たされた暮らしを送っている四歳の双子には、理解する術もなかった。いとこ同士でありながら、双子とアトラウスは、明と暗、光と闇、真逆の世界をみて育ってきたと言ってよかった。
「どうして? こんなに綺麗な夜の色の髪と瞳なのに。私はこの色、好きよ」
その言葉に、アトラウスは深い猜疑心をあらわにした。そんなこと、言われたことがない。父は常にこの色を蔑み、母はいつもこの色を嘆いていた。世話係のオルガも、時々眉を顰めて自分を見る。これは罪の色だといつか父は言っていた。この色が綺麗だなんて、あり得ない。
「きみは恵まれているからそんなことが言えるんだ。お父さまやお母さまに大事にされているんだろう?」
「そうだよ、ユーリィ」
事情が飲み込めてきたファルシスは、無邪気な妹の発言を制した。
「カルシス叔父さまとシルヴィア叔母さまの子どもなのに黒髪と黒目だなんて、つらいことなんだよ。もしかして、それでここに閉じ込められているの?」
「そうだよ。ぼくなんか人前には出せないって言われて。三歳の誕生日から、お母さまと離されてここに一人でいるんだよ」
「この部屋に、たったひとりで? アトラウス、五歳なんでしょう? 三歳からずっと?」
アトラウスは頷いた。
「時々、お父さまが見に来て怒ったり、お母さまがこっそり会いに来てくれるけど、ほとんど、ひとりでいる。お世話はオルガがしてくれる。玩具も本もある。でも、寂しい。もっと、お母さまといたい……」
「だったら、そう言ってみないといけないわ、カルシス叔父さまに」
「言ったこともあるよ。でも、殴られただけだった。出来損ないが何を言う、って。お母さまは時々、お父さまがお帰りにならない夜にこっそり会いに来てくれる。でも、いつかはわからない。だからさっき、きみたちが来た時、お母さまが来てくれたかと思ったのに」
「アトラウス、きみ、こんなところに閉じ込められるなんておかしいよ。きみが悪い訳でもないのにさ。お父さまはきっと、カルシス叔父さまにお話しして、きみを自由にしてくれると思う」
アトラウスは首を横に振った。
「お願い、ぼくと会ったなんて言わないで。ぼくは今のままでいいんだ。時々、お母さまが会いに来て下されさえすれば」
「まあ、このままなんていけないわ。お外はとっても明るくて広いのよ。一緒に行きましょうよ。綺麗なお花がたくさん咲いているわ」
「お花なんかどうでもいいよ。ぼくはここから出ちゃいけないんだ。会ったこと、絶対、内緒だよ」
「いやよ、お父さまにお願いするわ。あなたを出してあげる。そうしたら、いつでもシルヴィア叔母さまといられるじゃない」
「……」
この言葉に、アトラウスの心は少し動かされたようだった。だが少し考えて、やはりかれは首を横に振った。
「だめだ、お父さまがお許しになる筈がない。お父さまがお怒りになると、お母さまが悲しまれる」
「でも、私たちのお父さまは、あなたのお父さまのお兄さまなのよ。そして、困っている人には絶対に力を貸してくれるのよ。大丈夫よ」
「そうだよ、お父さまはルーン公爵だ。このアルマヴィラで一番偉いんだ。そして、間違った事は絶対そのままにしてはおかないんだ」
誇らしげにふたごは言った。だが、アトラウスはアルフォンスを知らない。アトラウスにとって、ルーン公爵アルフォンスは、母親を裏切った男だという悪印象がすべてだった。それに彼にとっては父親が絶対的な存在で、その意志を覆す事ができる者がいるなど、容易く信じる事は出来なかった。
「いいんだよ、別にぼくのお父さまは間違ってなんかいない。ぼくは出来損ないだからここにいる方がいいんだよ」
「だめよ! あなたのお母さまはきっと、あなたがお父さまに閉じ込められている方がいいとは思っていない筈よ?」
「……! そう……かな?」
ユーリンダのその言葉は、確かにアトラウスの心を動かした。