炎獄の娘

30・口論

 ダルシオンの話には、頷ける部分と不自然に思われる部分がある。だが流石に大神官に対して、その疑問の一つ一つを『信じがたい』と問い詰める事は出来ない。たとえそうした所で、ダルシオンが先に言った事を訂正するとは思えない。しかし、アルフォンスが即答しないので、ダルシオンはもう少し情報を追加しようと思ったらしい。

「全てを話す事は出来ぬ。だが、私は嘘は言っておらぬ。鍵を紛失した大神官は、掟により死んだのだぞ。このように王宮に近い場所に、新たに護りの封印などを施せば、忽ちそれは王宮魔道士に感知されてしまう。それよりは、このまま埋もれさせてしまう方が安全であろうというのがその時に下された決断なのだ」
「……なるほど」
「イサーナ殿が、自分の夫が死なねばならぬ程の大罪を犯したと思い込んであのような事をしでかしたのには間違いないと思う。それが私の……ルルア大神官の意に添った事だと思い込んでいたのも。しかし、私は何もしていない。扉が開いた事で私が罰を受けるなら、それも致し方ないと思っていたのだ」
「猊下が罰を?!」

 この言葉にはアルフォンスも驚きを隠せない。政治的な権力は持たぬものの、国内最高の宗教的権威者、太陽神ルルアの代弁者である大神官を裁けるのは、神そのもの以外ないと一般的に認識されているからである。だが、ダルシオンは頷いた。

「そなたも知っている筈。闇に潜みながらも光の子と自称する、歴史の影に生きてきた者たち……」
「まさか……あれは伝説の類いだと……もしもアルマの時代にあったとしても、とうにその血筋は潰えたものと」
「うむ、私もそう思っていた。だが、今では、イサーナ妃を操りグリンサム公を死に至らしめたのは、それ以外考えられぬと私は思っている。私が罰を受けなかったのは、グリンサム公が秘密を一人で抱えたままだったからだとも」
「そんな……」

 アルフォンスは、予想もしなかったダルシオンの言葉に、深く衝撃を受ける。神子の定めた掟が破られた時、直ちにその責を負う者に……ルーン家の場合はルーン公に、死の制裁をもたらすという一族。

『伝承では、かれらは『ルルアの子ら』と自称していたらしい。あくまでもルルアのご意志によって暗殺を為すのだと。とんでもない事だ、ルルアがそのような事をお望みになる筈もない。だが、公国の頃のルーン家の主達は皆、その影に怯え悩まされていたらしい。『ルーンの闇』と呼んでな。だが、実際、その一族が記録に上ったのは八公国時代が終わってからひとたびもない。『闇』はとうに歴史の影に呑まれて還るべき闇に還ったのだと、私は父に聞かされた』

 亡父の言葉がまた記憶の底から聞こえてきた。ダルシオンの言葉が真実ならば、ヴィーン家にもまた『ヴィーンの闇』が存在し、大胆にも大神官の命をも損なった過去があるという事になる。

「これ以上は言葉にせぬ方がよい。私の為にも、そなたの為にも。解ったら、鍵を返してくれ。イサーナ殿には私から言っておく。あの場ではああ言ったものの、鍵が大神殿のものだという事はイサーナ殿には既に納得させてある」
「……解りました」

 アルフォンスは懐から鍵を取り出し、ダルシオンの手に返した。結局エーリクが何を見たのか分からずじまいであるのは口惜しいが、掟を破る事は出来ない。ダルシオン自身も知らぬと言っているのは恐らく真実であろう。『嘘は言っていない』というダルシオンの言葉に、やっとアルフォンスは得心がいった。だが、ひとつだけ納得出来ない事があった。
 闇の中で大事そうに鍵をしまいかけているダルシオンに、アルフォンスは顔を上げ、言った。

「猊下。猊下の仰る事には全て偽りはないと確信出来ました。わたしの為に危険を冒してご説明を頂けた事、誠に感謝致します」
「当たり前だ。私の言葉を偽りかと疑うそなたがどうかしているのだ。他の者が今の言葉を口にしたなら、とうに破門にしている」

 煩げにダルシオンは返答した。用が済んだのでもうさっさと立ち去りたいという風情だ。倒れたままの三人には目もくれない。だが、それはアルフォンスには今はどうでもよかった。

「猊下。猊下はイサーナ殿によってエーリクが死に至らされようとしていたのをご存じだったのですか?」

 ダルシオンの手が一瞬止まった。だが次には何でもない事のように、

「知っていた……とすれば何とするのだ」
「何故、イサーナ殿に止めるように仰らなかったのか、それを知りたいのです」

 ダルシオンの表情や動作は、アルフォンスの問いに明らかに是と答えていた。それを隠そうという気もないようだった。

「グリンサム公は、ルルアの神子の掟により、死なねばならぬ運命にあった。そうでないというのなら、どこかでルルアのご意志が働き、彼は救われていただろう。私は彼を救う立場にはなかったのだ」
「エーリクは鍵が何であるのかも知らなかった。意図して罪を――扉を開けることが他家の者にとっても罪であるのならですが――犯した訳ではありません。なのに猊下は、彼を救う立場になかったと仰るのですか? 猊下は全てのルルア信者の罪を裁く権利を与えられたお方。猊下は本当にエーリクに罪があったと……」
「くどい! グリンサム公は禁忌を破った罪を悔い、既に死を覚悟していた。即刻私に鍵を返すべきであるという事を理解していなかっただけでも、それは罪なのだ」
「猊下……エーリクが秘密を誰にも洩らさなかった故に猊下は罰を受けずに済んだのだと、さっき仰いました。エーリクは猊下を庇おうとしたのではないでしょうか?」

 ダルシオンの貌に朱が走った。黄金色の瞳に怒りの炎がちらついた。

「アルフォンス! そなたは、私が保身の為にグリンサム公を見殺しにしたと言いたいのか!」

 この言葉には、アルフォンスの方が驚いた。そんな風には考えていなかったからだ。

「そういう意味ではありません。ただ、イサーナ殿が……よりによってエーリクが愛した女性がそのように道に迷うのを放置なさったとは残念な事だったと言いたかったのです」
「よいか、どのみち、グリンサム公は死すさだめだったのだ。ならば、せめて愛する者の手にかかる事の方が、彼にとっては救いなのではないか?」
「そんな訳はありません! イサーナ殿は生涯自らの罪を悔いる事でしょう。それがエーリクにとって救いになる筈がありません」
「イサーナ殿にグリンサム公の潔白を教えたのはそなたではないか! 知らねば彼女は罪の意識など持たずに済んだのだ」
「知る事こそが救いであるとわたしは思います。真の救いは真実の中にしかないと」
「そのような言葉はルルアの教典にはない。知るべきでない事は知らぬままの方がその者の為なのだ。全てを知っているべきであるのは、ただルルアのみ。そなたの考え、思い上がりも甚だしい!」

 両者の主張に歩み寄れる部分はなかった。アルフォンスとダルシオンは険しい表情で暫し睨み合っていたが、先に視線を外したのはダルシオンの方だった。

「こんな問答は時間の無駄だ。もうじき夜が明ける。それまでに居るべき場所にそれぞれ戻っておかなければまずいのではないか」

 ダルシオンは、スザナとリッターを見下ろした。

「危うく、王国の七本柱が四本も失われるところだったのだ。これは元々ヴィーン家の問題であり、他家を巻き込むのは全くもって本意ではない。とにかく、そなたと話しても埒があかぬのはよく解った。だが、まだ今はそなたの息子ファルシスにそなた同然の務めを果たすのは荷が重過ぎよう。無用な危険は避けるのが、そなただけでなくそなたの家族、アルマヴィラの民、王国の為。そこの所だけはよく弁えるのだな」
「それについては、心よりご忠告感謝致しております」

 ふんと鼻を鳴らすと、ダルシオンは踵を返し、階段を上り始めた。ランタンの灯りが再び遠ざかってゆく。鍵も共に。複雑な思いでアルフォンスは頭を下げて大神官が元来た道を戻っていくのを見送った。



 香の匂いはだいぶ薄れてきていた。暫く灯りがあったおかげで、再び闇に戻った今でもアルフォンスにはだいたい誰がどこにいるのか知る事が出来ていた。

「エク。起きてくれ。危険は去った」

 まず、腹心のエクリティスを揺さぶり、声をかけた。この香の効果は強いが、そう長く保たないのも特徴だ。呻き声をあげてエクリティスは身体を動かした。意識が戻ってくると、彼は状況を思い出したようで、がばと跳ね起きた。

「アルフォンスさま! ご無事でいらっしゃいますか?!」
「ああ、無事だ。生憎、鍵は奪われてしまったが……」
「賊が襲ってきたのですか?! そのような時に私は何という醜態を……」
「いや、そなたには何の落ち度もない。わたしにはたまたま、眠りの香がきかなかったというだけの話だ。だが、このような闇の中では、身を護る術もなく、鍵を渡す以外に道はなかった。まあ、これも運命だったのだろうよ。誰も危ない目には遭わずに済んだのだから、鍵の事は仕方がないと諦めるしかない」
「……」

 物心ついた頃から傍にあったエクリティスには、あるじが真実を言っていない事はすぐに判った。だが、アルフォンスが自分に話すべきと思わない事を追及して尋ねようとは夢にも思わない。

「解りました、何のお役にも立てずに恥ずかしい限りですが、とにかくどなたにもお怪我がなかったのが何よりでございます」
「ああ。とにかく、これ以上ここにいる意味はない。夜が明ける前に戻らなくては」

 そう言ってアルフォンスは手探りでスザナの肩に触れ、抱き起こした。エクリティスはリッターに声をかけている。

「スザナ、スザナ、しっかりしてくれ」

 先程の事を思うと面映ゆい気がしたが、スザナが後から何と言おうと、夢だったのだろうと通そうと決めていた。

「うぅ……わたくし、どうしたのかしら……」

 スザナがくぐもった声で問いかけてきた。

「眠りの香が仕掛けてあったんだ。君たちはすぐに倒れてしまった。わたしにはそれ程効かなかったが、鍵は奪われてしまったんだ」
「鍵……って……何だったかしら……」

 スザナはまだ朦朧とした様子である。

「夢を見ていたのよ」
「ロアンの夢だろう?」
「なぜ、知っているの?」
「ロアンを呼んでいたからさ」
「……」

 スザナはアルフォンスの肩に額を預けた。ほとりと零れた熱い涙がアルフォンスの肘を濡らした。
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