ホットケーキ
第十五章『黒焦げの円盤』
「一体、何をやってたんすか?」

何って・・・

「そこのポジの山、このパネルの束・・・。これのせいなんでしょ?最近なんかオカシイって思ってましたよ。でも楽しそうだったからいいのかなって思った。言いたかないならもう訊きませんけど、体を壊したら元も子もないでしょ?健康管理も仕事のうちですよ?いつもそう言ってるの、湖山さんじゃないですか!」

「うん。分かってる。迷惑かけた。ごめん」

「ごめんじゃないすよ・・・。心配したけど、俺はいいんですよ。どうせ湖山さんが仕事できないなら俺の仕事だって大したことは何もないんだから。ただ、ただ、なんつうか・・・、こんなんなるまで何かやりたい事があったなら、どうして俺に一声かけてくんないのかなって。・・・水臭いじゃないですか・・・」

誰かに協力を求めることなんて考えてもみなかった。どこに自分のラブレターを一緒に書いてくれと頼む奴がいるんだ。言葉を選んでいる湖山がしおらしくみえたのだろうか、強く言い過ぎたと思ったのだろうか、大沢くんは黙って俯いていた。

「とにかく・・・。とにかく、今日の予定チェックしたら撮影入ってなかったから休みにしておきました。XX社のROMの事は、もし湖山さんが任せてくれるなら俺がチェックして持って行きます。さっきコンビニでレトルトのお粥買ったのを、台所においておいたから良かったら食ってください。そいじゃ。なんかあったら連絡してください。直ぐに来ますから。仕事中でも、夜中でも、大丈夫ですから。」


玄関のドアが重たい音を立てて閉まった。湖山はベッドに腰掛けてパネルの束が作る谷を眺めていた。朝日が差し込んでパネルに階段のような影を作っていた。
水臭い、か。

年だな・・・。徹夜明けで仕事なんてちょっと前までやってた気がするのに。

ここ数週間不足していた睡眠を15時間分貪ったところだった。目が覚めると、大沢くんがいて、たったいまお説教を食らった。ほんとだよな・・・。バテて仕事に穴あけちゃうんなら手を抜いて仕事すんのと同じ(おんなし)だよな・・・。少し空腹を覚えた。お粥があるって言ってたな・・・。ゆっくりと立ち上がって湖山は足元を確かめながらキッチンに向かった。

(お粥・・・お粥・・・)
カウンターの上に白いレトルトパックが置いてあるのが見えた。食器棚から大き目のどんぶりを出す。ハサミをとろうとガス台の方へ回った時、見慣れないものが目に入った。

(こ、これって一体・・・?)

フライパンの上に真っ黒こげの円盤状の物体が乗っている。真っ黒焦げの円盤を呆然と見つめていると、いつ戻って来たのかダイニングの入り口に大沢くんが立っていた。

「それ、ホットケーキの、成れの果てです」
「・・・!?ホットケーキ!?」
「うん。湖山さんがホットケーキ、食いたいって言ったから。」
「俺が?」
「そう。」
「いつ・・・!?」
「昨夜」
「ゆうべ・・・」
「夜中に」
「夜中に・・・」
「寝言だったみたいなんです。お腹すいたんだなって思って。コンビニに買いに行ったんだけど、ホットケーキとかパンケーキとかよくわかんないけど、そういうのは売ってなくって・・・。でも、ホットケーキくらいなら作れるかなって思ってホットケーキミックス買ったんです。そんで、作ってみたんだけど・・・。なんか、うまく行かなくて・・・。ホットケーキじゃねぇとだめかなーって部屋覗きに行ったら、湖山さん、ぐっすり寝込んでて何か食う感じじゃなかったから。ま、いっかって・・・。」
「なんだ、それ・・・」

笑った。腹を抱えて笑った。こんな風に腹が痛くなるまで笑ったのっていつ以来だろう?大の男がホットケーキミックスと格闘している姿を想像するだけで可笑しい。焦げるホットケーキにあたふたする大沢くんが目に見えるようだった。フライパンに乗ったホットケーキのほかに3枚のホットケーキ(の、成れの果て)が皿に乗っていた。どれも真っ黒で、半分にちぎったあとがある。生焼けでカスタードクリームのような中身を見せていた。

「バカだなぁ、バカだなぁ、お前。そんなこと・・・。俺にやるなら彼女にやってやれよー。お前って・・・ほんとになぁー」
目じりの涙を拭いながら湖山が言った。

「やってあげますよ。いつかね。本番前に練習しただけですよ。」
大沢くんがほっとしたように笑った。

「で、どうした?」
「パンケーキ、買って来ましたよ。」
白いコンビニのレジ袋をカウンターに乗せた。

「俺、なんか知らないけど、具合が悪い時ってイコールお粥、って思っちゃうんですよ。でも、考えてみたら湖山さん、風邪とかそういうんじゃなさそうだし、お粥とかじゃなねぇかもって思って、コンビニの前通ったら思い出したから。今朝は売ってましたよ、パンケーキ。あと他の色々。買いに行かなくて済むように昼の分とか、おやつとか。夜はまた来ますから。今日は家で寝ててくださいね、ちゃんと。パネルとかそういうのやらないでください。すっかりよくなったら、俺、手伝いますから。二人でやれば一日二日(いちんちふつか)、取り戻せますよ、絶対。だから、ちゃんと休んでください。湖山さん、運がいいっすよ。仕事の神様がついてるんすよ。今日は撮影ないし、明日から三連休だし。」
「普段の行いが良いからだろ?」
「そうっすね。本当にね。じゃ、俺、行きます」
「うん。なぁ、あのさ、ありがとうな。本当に。」


今度こそ大沢くんが出かけて行った。湖山はホットケーキになれなかった円盤を一枚一枚ゴミ袋に入れた。

「もったいねぇな。」

棄てたホットケーキではなかった。大沢くんという人物が自分の傍にいてくれることを心底自分にはもったいない奴だと思ったのだった。

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