ボレロ - 第二楽章 -
「たいしたことではありませんの。
私でなければ対処できないことが起きたようで、
スタッフからどうしても帰ってきて欲しいと。困ったものですね。
私が不在のときの対応もこなしてもらわなければならないのに。
でも、頼りにされる方がいいのかもしれません」
「そうでしたか。みなさん、珠貴さんの帰りを待っていらっしゃるのでしょう」
「そうみたいです。霧島さん、今日の結果は社長に報告致しまして、
あらためてお返事を差し上げます。
次回は現場担当者も同席させますので、以後は、彼らに任せるということで
よろしいでしょうか」
「えっ、えぇ……もちろんです」
「弊社の工場には熟練工がおりまして、親子二代で勤めている社員も
珍しくありません。
そうだわ、一度工場にも足をお運びくださいね。
直接ご覧いただければ、わかることも多いのではないでしょうか」
「ぜひ、そうさせていただきます」
珠貴の口は滑らか過ぎるほど動き、興奮気味にしゃべり続けている。
人は隠し事があるとき、必要以上に言葉を発するものらしいが、今の彼女は
まさにその状態にあり、表面をつくろう姿は痛々しく、わが身に降りかかった
災難を隠そうと必死になっていた。
「櫻井さん、私は先に失礼いたします。どうぞみなさまとご一緒に。
近衛さん、本日はありがとうございました。後日あらめて社長から……
あの、では、私はこれで」
最後の言葉は途切れ、顔を隠すように身を翻し部屋を出て行こうとした。
「待て」 と言うが早いか、私は珠貴の腕をつかんでいた。
そのときの私は、周囲の目などどうでもよかった。
何が起こったのかわからないが、彼女が困窮しているのは明らかで、見過ごす
ことができなかった。
「どうした」
「ですから、急ぎ戻らなくては」
「だから、どうしてだと聞いている」
櫻井は厳しい表情を浮かべ、私と同じように珠貴を見据え、霧島君は私の突然
の行動に驚きの目を向け、浜尾君は息を詰めて成り行きを見守っている。
「言えません……」
「ここで言えないのなら廊下で聞く」
「近衛さん、あなたにそんな権利はないはずだ。
珠貴さんの腕を離してもらおうか」
「なに?」
私と櫻井のすさまじい剣幕に、霧島君がわれわれの間に割って入ってきた。
ふたりとも、どうしたんですかと言う霧島君の声に珠貴の言葉が重なった。
「父が……」
「須藤社長がどうしたんですか」
櫻井がまたも問いかけたがそちらを見ることはなく、珠貴が目を向けたのは
私の方だった。
父が……の先の言葉をためらっている。