ボレロ - 第二楽章 -
方々に連れまわされたあと、夕暮れが迫り車窓の風景が認識できなくなるのを
見計らったように、車はとある場所へと滑り込んだ。
表玄関ではなく通用門から入ったため、そこがどこであるかはまったくわからな
かった。
車を出迎えた男性が降りてきた私たちを見て 「どうしてこの人がいるんだ」
と言ったことから、彼らは櫻井さんが誰であるのか知っているのだとわかった。
それは、午前中の会合で、櫻井さんが私と行動をともにしていた人だと認識して
いるから出た言葉だ。
私が今日どこに行き誰に会っていたのか、社内のごく一部の人間にしか知らさ
れていないことを、彼らは知っていたということでもある。
社内に通報者がいるのかもしれない。
偽りの呼び出しでこんなところへ連れてきたのは、身代金目当てなのか、
または、企業間のトラブルに巻き込まれたのか。
得体の知れない相手へ警戒しつつ、慎重に情報を集めなければと気持ちを引き
締めた。
ゆっくり息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
私は自分でも驚くほど冷静だった。
「しばらくの間、こちらに滞在していただきます。
われわれの言うことに従い要求が通れば、
あなたはすみやかに解放されるでしょう。
しかし、少しでも抵抗するような素振りをされた場合は、
それ相応の対応をさせていただかざるを得ません。
言っていることがおわかりですね」
櫻井さんが反論しかけたが、私がつかんだ腕に言葉を押し込み一歩下がる。
私は乾いた口をギュッと結び、わかりましたと言うように頷いた。
思いつきや目先の利益が目的ではなさそうだ。
要求とはなにか、私に具体的な説明はなかったが、これから社長に伝わるの
だろう。
彼らの対応が整然としていることから、とりあえずの危険性はないと判断した。
櫻井さんという想定外の人物が現れたことで、相手方も対策が狂ったのだろう。
打ち合わせが行われているらしい奥の部屋からもれてくる会話に耳を傾けるが、
詳細を聞き取ることはできない。
今後どう行動するべきか、櫻井さんと話をしたくとも、見張り役としてそばに立
つ女性の存在に会話をすることさえ困難だった。
私を捕らえ監禁することが目的なのだから、彼らが私に危害を加える恐れは
ないと思われるが、櫻井さんはどうなるのか。
邪魔な存在としてみなされてしまったら……
事件に巻き込んでしまった申し訳なさと、櫻井さんがこの先どうなってしまうの
かと考えて急に不安に襲われた。
顔を覆い落ち着かないため息を吐いた私の肩を、櫻井さんの手がゆっくりと引き
寄せる。
肩を抱く手の力強さに戸惑ったものの、一時の安らぎを求め目を閉じた。
無言のまま寄り添い、いつしか私は彼に体の重みを預けていた。
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『NAIL FILE』 ・・・ 爪やすり