ボレロ - 第二楽章 -
長引いた会から急ぎ退出し、打ち合わせの場に駆けつけ、知弘さんに事の次第
を伝えると、私が睨んだのも香取専務ですと驚くべき返事があった。
さらに、これを見てくださいと櫻井が書類を持ち出した。
「僕もにわかに信じがたいことで、何からお話しようかと思っていましたが……
株の流れです。ここを見てください。
総会を境に、自社株が香取専務に集まっています」
「えっ、どうして君がこんなものを持ってるんだ。
社内機密じゃないか、外部に漏れる情報じゃない」
「今朝、専務夫人から渡されました。
珠貴さんとの話を早く進めましょうと切り出されて、
将来的に、あなたにはこれだけの力が備わるのだと言って見せられました。
この非常時に、なぜ僕にそんなことを言うのかと、
そのときは取り合わなかったのですが、
今の近衛さんの話から、これはとんでもないことになりそうだと……」
問屋と取引先を巻き込んでクレーム事件を作り出し、社長を退任に追い込んだ
あと常務の立場も危うくし、その後、横滑りとなった社長の地位に就こうと
しているのが香取専務だった。
いずれ珠貴が跡を継ぐことになっているが、彼女と結婚する相手を取り込むこと
で、自分の力をより強いものにしておきたい、そういうことだろう。
それが、今回の誘拐劇を引き起こし、一連の騒動の発端となっていたと考えられ
る。
「専務の動きがおかしいと感じたのは、今に始まったことではありません。
去年から取引先との関係が密になっていると、
内々に知らせてくれる者がいましたので気をつけていたのですが、
まさかこんな事態を引き起こすとは……」
「何かと僕に接触してきたのも、そんな思惑があったからか……
僕は利用されていたということですね」
わが身の立場を知った櫻井は、苦痛な表情を浮かべ椅子に座り込んでし
まった。
珠貴との縁談を、専務の権力保持のために利用されたと知らされたのだ。
信じていた相手の手の内が見え、協力してきたこれまでを悔いてもあまりあるの
ではないか。
「櫻井さん、須藤社長は櫻井さんのお人柄や力量を見込まれて、
珠貴さんのお相手にと望まれたはずです。
たとえ後継者争いに巻き込まれたとしても、それは櫻井さんには責任の
ないこと。須藤さん、そうですよね」
「えぇ、紫子さんの言うとおりだ。専務が肩入れしたからといって、
君には何の落ち度もない。
彼らに加担していたというのなら別ですが」
「そんなことはありません!」
「失敬……言葉が過ぎました」
「いいえ、わかっていただければ……僕も余計なことを言いました」
いかなるときも冷静な対応で乱れなど見られない知弘さんも、姪の失踪という
非常時では、冷静な姿勢を欠くことがあるようだ。
身内に疑念を持たなければならない事態になり、平静ではいられないということ
か。
協力者である櫻井に向けられた言葉は知弘さんらしくないものだったが、すぐに
非を認めたところは、さすがと言えよう。
それを素直に受け入れた櫻井もまた、たいしたものだが。