ボレロ - 第二楽章 -
「えっ、宗……」
とっさに口を押さえ彼の名前を打ち消した。
どうしてあなたがここにいるの?
錯覚なのかと何度も目をしばたいたが、何度見ても宗の姿が目に映る。
彼が私と同じ場所にいるのは現実のようだ。
自分の立場を忘れ彼の姿を見つめ続けていたが、ハッと我にかえり、
乱れてもいない髪に手をやりスカートの裾を不自然に直した。
となりにいた北園さんには私の声は確かに聞こえたはずなのに、まるで聞いて
いない素振りだ。
「パーティーが始まる少し前でしたか、須藤邸には珍しい樹木があると
聞いてまいりました、と声をかけられましてね。
なんでも、そちら様のお庭を手入れする出入りの業者から、
須藤邸に行くのなら、ぜひ庭木を見るようにと言われたそうです」
「まぁ、そうなの」
「お名前を聞いて驚きましてね。
近衛さんは立派な庭のあるすごいお宅だってことは、
私らの耳にも入るほどですから。
嬉しいじゃありませんか、ウチの扱う仕事が他の業者の口に上る。
それを見てくるように勧めてくれるなんぞ、
私にとってはこの上ない栄誉ですね」
「あちらのお庭も素晴らしいそうですね。日本庭園だと聞きましたが」
「えぇ、手入れをする職人も第一級の腕だ。
その人に私らの仕事を褒めてもらった。もう嬉しくて嬉しくて。
それだけじゃない、人目につかないところで職人の私に話しかけて、
こっそり耳打ちするように嬉しいことをおっしゃる。
私は近衛さんを気に入ったね」
「親父が気に入ってどうするんだよ。
それを言うなら、今日ここにいる人の家の庭は、どこだって立派じゃないか。
珠貴お嬢さん、親父の言うこともたいがいに聞いてくださいね。
俺は櫻井さんの方が気に入ったね」
呆れ顔が父親とそっくりの息子のヤスさんは、これで失礼しますと先に席を
はずした。
「ヤスは人を見る目がなっちゃいない。あんなんじゃ、 まだまだだな」
「ヤスさんには厳しいんですね」
「そりゃぁそうですよ。これからもこちらのお庭を任せていただくんだ、
しっかりとしてもわらなきゃ。
お嬢さん、近衛さんならこの庭も大事にしてくださるはずだ。
私は、あの人にここを守ってもらいたいですね。
あっ、いや、差し出がましいことを言いました。
お嬢さんの気持ちもあるのに……
どうも庭のことになると、つい力が入ってしまって」
北園さんは出すぎたことを言ってしまったとすまなそうにしたが、私には
嬉しい言葉だった。