ボレロ - 第二楽章 -
エレベーター前につくと上階へのボタンを押し、閉まりかけたドアをあけ私を
体ごと中へと押し込んだ。
追いかけてきた彼らのレンズから私を守るように、シースルーのドアに背を向け
立った彼は、ようやく笑みを向けてくれた。
上階につくと慌しく降り、急ぎ歩き出す。
どこに行くの? の問いかけに彼の目が示したのは数メートル先のドアで、
人目をはばかるように体を滑り込ませたのは、出国ロビーにあるラウンジ
だった。
あらかじめ予約していたのか、出迎えたフロアスタッフが私たちを個室へと案内
する。
「コーヒーをお願いします。それから、私を訪ねてくる人がいます。
ここへ通してください」
「かしこまりました」
ドアが閉まる音のあと聴こえてきたのは音楽で、耳に心地よいクラシックが静
かに流れていた。
この部屋には見覚えがあった。
去年の秋、知弘さんと静夏ちゃんを見送ったあと、宗が私を連れてきた部屋だ。
あの時の私たちは、まだ相手の気持ちにも自分の気持ちにも自信がもてなくて、
互いが語る言葉のひとつひとつに揺れていた。
滑走路を見つめる宗の目は怖いほどで、けれど、それほど私を深く想ってくれて
いると知ったのがこの部屋だった。
「一年ほど前かしら、ここに来たわね」
「覚えてた?」
「えぇ、忘れるわけないわ」
だって、あのとき……といいかけた私を、俺も覚えてるよと言いながら、背中
からゆるりと抱いた。
「おかえり」
「ただいま……あなたが来てくれると思わなかった」
うしろから近づいた宗の顔が重なり、言葉のない時が流れる。
大きな手が私の体を正面に向けると、背中へとしっかり回され、ノックが聞こ
えるまで、私たちは互いの存在を確認するように何度も触れ合った。
「漆原さん、先日はありがとうございました。
おかげで会社の損害も少なくて済みそうです」
「礼を言いたいのはこっちのほうです。
社会部の記事を書かせてもらったのは久しぶりだったけど、
あの記事の評判が良くて、あれから依頼が舞い込むようになったんですから。
感謝しきれないな」
「いいえ、それは漆原さんのお力です」
私の誘拐事件に絡むクレームの一件を、宗の依頼で漆原さんが記事にしたこ
とで、批判の渦中にあった 『SUDO』 を見るマスコミの目も変わり、
隠れていた事実が世間に公表され、会社の危機を救ったのだった。
近衛さんの提供してくれた情報があったからだと漆原さんは謙遜したが、記事
そのものの構成力が大きかったというのは誰しも認めるところで、父や櫻井さん
からも記事の力に助けられたと聞いていた。