ボレロ - 第二楽章 -


まぶたの向こうに、ほんのり明るさを感じた。 

ゆっくりと目をあけ見渡すと、遮光カーテンに守られた部屋は薄暗く、昼間か

夕方なのかさえわからない。

気だるい体で寝返りを打って目を閉じたが、一度覚醒した頭は睡眠を拒んで

いるのか目が冴えてくる。 

寝る努力をやめて起き上がり、窓辺へと行きカーテンから外をうかがった。

冬の日差しは目覚めたばかりの体には充分に刺激的で、南に見える太陽が

昼間だと教えてくれた。


昨夜は遅くまで家族と過ごした。

事件による精神的不安はなく、海外で過ごした数週間は、いい意味でリフレッ

シュになったと告げると、両親は安堵した顔を見せた。

「本当なのね。我慢してないわね」 と母に何度も聞かれたが、そのたびに 

「大丈夫よ」 と笑顔で答えた。

囚われている間も、身の危険はない、必ず助かると信じて疑わず、自分でも驚く

ほど冷静だった。

けれど両親の心中は、娘の私からは想像もつかないほど苦しく大変なもの

だったようだ。


事件直後目にした母の姿は、やつれ、乾ききった唇が心配の度合いを物語って

いた。

父からは、「よく頑張った」 と一言あったのみだったが、潤んだ目と握り

締めた拳が父の思いをあらわしていた。

紗妃は私を見るなり走り寄ると無言でしがみつき、その肩は震えていた。

抱き合う私と紗妃は、さらに母の手に包み込まれ、その胸の温かさに体のこわ

ばりがほぐれていく思いがした。

あのとき、本当の意味で心も体も解放されたのかもしれない。
 


事件解決後入院したものの、まもなく海外へと旅立ったため、家族とゆっくり

話す時間もなかったが、昨夜は久しぶりに家族だけの時間を持った。

社長の退任要求やクレームの騒動は、すべて犯人側に巧妙に仕組まれたもの

だった。 

けれど、それらを引き起こす原因は我々にもあった。
 
企業脅迫の実態が明らかになるにつれわかってきたのは、少しずつ積もった

不満や業者間のひずみで、それらが今回の事件を引き起こしたともいえると、

父は自分の立場に厳しい見解を示した。

見過ごしてきた事態や馴れ合いもあったのではないか、それには社内基盤の

建て直しが必要であり、これまで以上に厳しい姿勢で取り組まなければなら

ないと、珍しく雄弁に語っていた。

まだまだ退任は考えられない、珠貴にもこれからもっと頑張ってもうつもりだ、

ゆっくり休んで力を蓄えて欲しいと、いかにも父らしい励ましがあったが、

父が席をはずすと母から父の違う一面も聞かされた。



「お父さまは、会社のことばかり気にかけているようにおっしゃったけれど、

そうではなかったの。珠貴を助けるためならなんでもする。

今の自分には社長の椅子などなんの意味もないとおっしゃってね。

本当に退任なさるおもつもだったのよ」


「社長退任は表向きの発表だと聞いたけれど、そうではなかったの?」


「本気でない姿勢など見抜かれてしまう。

そんなまやかしは通用しないと、厳しい顔で知弘さんにおっしゃったわ。

自分の代わりはいくらでもいる。現役を退いてのんびり過ごすのも

いいじゃないかと、私には笑って……

親はね、子どものためなら、どんなことでも覚悟できるのよ」

 

黙って話を聞いていた紗妃が、こらえきれずといったようにグスグスと泣き

出し、どうしてあなたが泣くのと言いな がら、私の声もかすれていた。

二人とも大事な娘ですから……

母の最後の言葉に、両親の深い愛情を感じずにはいられなかった。



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