ボレロ - 第二楽章 -
傷が回復したのち、葵ちゃん本人も両親に連れられ我が家を訪れた。
「宗おにいちゃん、ありがとうございました」 と、5歳にしてはしっかりとし
たお礼の言葉をもらったものだ。
その翌年から 『吉祥』 で顔を見かけると、名前を呼びながら駆け寄ってくる
彼女の姿が見られたが、この数年は顔を見ていない。
祖父の跡を継いだ父親とともに、選挙区である地元に帰っているらしいと教えて
くれたのは、お袋だったような気がしたがそれも定かではなかった。
恒例である元旦の父の訓示を聞きながら、懐かしい出来事を振り返っていた。
あのとき5歳だった女の子はとっくに成人している、もしかすると結婚している
かもしれないな、あの子が結婚?
想像できない……などと、幼な顔と成人した顔を思い浮かべながら、ふっと声が
漏れた。
お袋に突然問いかけられた。
「何かいいことでもあったのかしら?」
「べつに……」
「そうかしら。いつもは黙って座っているだけの宗さんが、なんだか嬉しそう。
気になりますよ」
「なんでもないよ」
「なんでもないのに笑ったりしないでしょう。心境の変化とかあったりして、
気になることでもあるのかなぁ。心ここにあらずって顔よ」
思わせぶりな発言で私を煽っているのは、年末に帰国した妹の静夏だ。
珠貴を匂わせる言葉の羅列に釘をさすために、テーブルの下で静夏のひざを
小突くと不服そうな顔をしたが、とりあえず口をつぐんだようだ 。
ところが、私の様子に反応したのは静夏だけではなかった。
「にこやかに微笑むのは、気持ちに余裕があるということですよ。
宗さんのお顔、私にも違って見えるけれど、どういうわけでしょうね」
観月の会で珠貴を紹介した大叔母までもが意味ありげなことを言い出し、おおい
に返事に困った。
「私にもそう見えましたよ。宗一郎さんのお顔、今年は晴れやかですもの。
きっといいことがおありになったのね。ねぇ、あなたもそう思うでしょう?」
「うん」
短く返事をした潤一郎が、私を見ながら肩をすくめ気の毒そうな顔をした。
その顔は、今日は覚悟しておけよとでも言いたげで、この席で潤だけが私の
味方のようだ。
父も黙っているが、成り行きを見守っているのか、口を挟まない方が賢明と判断
したのか、女たちのやり取りにうなずくでもなく、かといって意見もしない。
こういう場合、女性陣の言いたいように言わせておけとばかりに、黙々と
フォークを口に運んだ。