ボレロ - 第二楽章 -
「こちらこそ、近衛さんには感謝しております。
本来ならしかるべき席を設けてお礼を……」
「どうぞお気遣いなく。霧島君のおかげて須藤社長とこうして
親しくお話できました。感謝しております」
「なんの私こそ、まさか近衛さんのご子息にお会いできるとは。
先代の社長がご健在の頃は、何度かご一緒させていただきました。
父とは趣味を通じて通い合うものがあったそうですが、私も少々嗜みまして」
「そうでしたか。父はあまり興味がないようですが、
私は惹かれるものがあります。今度はぜひ、そのお話を」
「願ってもない。では、次はぜひ……」
息を詰め二人の会話を聞いていたが、父が立ち上がったため、物陰に
体をピタリと寄せ、宗と互いに礼を交わし立ち去るまで、そのままの姿勢で
立ち続けた。
「もういいぞ……珠貴、出て来いよ」
宗の言葉に驚き、私の体はびくついた。
壁に張り付いた体をはがし、おろるおそる足を進め、彼の顔が見える位置まで
体を動かした。
「どうしてわかったの?」
「そのガラスに映ってた」
「えっ、では父にもわかって……」
「それはないはずだ。知ってたら声をかけるだろう」
「ねぇ、どうしてここにいるの?」
問い詰めるつもりで宗を追いかけてきたのに、私の声は自分の気持ちに反して
のんびりとしたものだった。
それには答えず、ニヤリと口角を上げると、私の手首を掴んで小屋の中に
引き入れた。
「どうしてかって? 話せば長くなる。夜にでも話すよ。
とにかく君の父上にお会いできた」
「父はアナタにとってどんな印象だった?」
壁に体を預け新たな煙草に火をつける。
私へも一本どうかとシガレットケースを差し出したが、今日はやめておくわと
断った。
「経営者として、真摯に事業に取り組まれている姿が伝わってきたよ。
小手先や小細工の通用しない人だということもわかった。
正面から向き合うしかないね」
「ありがとう……父のこと、そんな風にみてくださったのね。嬉しいわ」
父と私はいつも多少の距離をおき、親子にしては淡白な間柄だった。
妹のように甘えることもなく、父も私を甘やかさない。
どちらかといえば反発して育ったのかもしれない。
だからといって父を疎ましく覚えることはなく、これが私たち親子の
距離なのだ。
宗が父を好意的にとらえてくれたことに、私は安堵していた。
「父と娘は似るそうだが、本当だな」
「私と父が似ているというの? 似てないわよ……」
右手でシガレットケースを開けては閉め、閉めては開ける動作をくり
返している。
まるで、君が贈ってくれたケースを使っているよ、と示すように、開け閉めの
音がパチンパチンと小屋に響いていた。
「似てるよ、気性がそっくりだ。君も親父さんも、真っ直ぐでぶれない。
俺が好きなところは、親父さん似だったんだ」
「好きって言ってくれたの、初めてね」
「そうだったかな……」
「そうよ」
すっと唇に触れ離れると私の好きな顔が微笑み、煙草を足元へと落とした手が
頬に触れる。
苦味を帯びた唇が私を捉え、ゆっくりと口元をほどいていく。
遠くから微かに響いていた声も耳に入らないほど、神経のすべては宗に向いて
いた。
ふいに動きの止まった彼へ不可解な顔をすると、口に人差し指をあて、
外を見ろと目が促した。
聞こえてきた声に私の体は静止した。
「珠貴さん、どこですか。珠貴さん」
櫻井さんの声だった。