ボレロ - 第二楽章 -
3. vivace ヴィヴァーチェ (活発に
弦楽四重奏が奏でるバッハが流れる中、須藤邸の賑やかな庭をあとにした。
ブランデンブルグ協奏曲の耳慣れた旋律に、もっと聴いていたいと思いながら
長居は無用と足を速める。
庭を抜け玄関前へ急ぐ私に、控えめに声をかける人物がいた。
「お帰りですか。本日はありがとうございました」
「こちらこそ、素晴らしい庭を拝見させていただきました。
北園さんの仕事は素晴らしかったと、帰ったらウチの親方に報告します」
「嬉しいことをおっしゃる。
近衛の若にそんな風に言ってもらえるとは光栄です」
「はは……若ですか」
「若こそ、親方と呼んでるじゃありませんか」
「小さい頃から、他の職人さんが ”親方” と呼ぶのを聞いて
育ったものですから、ついいつものクセで」
「嬉しいですね。もともと私らは家族経営で、
一人親方 (ひとりおやかた) のようなものでして、
いつのまにか職人が増えて、今でこそ会社組織になりましたが、
親方と呼ばれると気持ちがシャキッとします」
自分もずっと親方と呼ばれていたい、社長なんて呼ばれると、
こそばゆくて……と、北園さんはぼんのくぼをしきりにかいている。
またお越しくださいと重ねて言われ、
「またいつか。そのときはゆっくり見せてください」
「庭には、夏には夏の、秋には秋の顔があります。
一度といわず何度でもどうぞ」
「それはぜひ。ですが、私がこちらに伺うのは、そう何度も……」
「私としては、近衛の若に、年月を経た庭をご覧いただきたいものです」
「北園さん、それは……」
「珠貴お嬢さんとご一緒なら、それも叶うはずだ。
お嬢さんの横に立つべきお人は、近衛の若だと私は信じています」
「彼女から何かお聞きになられたようですね。
背中を押してくれる人がいるのは嬉しいですね。
北園さんの期待に応えられるといいのですが」
言葉を濁しながらではあるが、そうありたいと肯定する私に北園さんは大きく
頷いた。
ここなら誰の目にもつきませんと、親方から教えてもらった裏口の通用門を
くぐる。
立ち去る間際、余計なことですがとためらいながらも、可南子さまには用心
してくださいと言葉を添えてくれた。
通用門を出ると、指示しておいた場所に車が待っていた。
秘書の平岡の目が、今日の首尾はどうだったのかと問いかけている。
相談がある、付き合って欲しいと伝えると
「はい、お付き合いいたします」 と、待ってましたとばかりに歯切れの良い
返事があった。