ボレロ - 第二楽章 -
珠貴の膝は温かく、めまぐるしい一日を過ごした体をしっとりと包んでく
れる。
今日の報告をすると約束していたため、彼女は料理を準備してマンションで
待っていた。
食事より先に膝を貸してと告げ、足を投げ出し頭を珠貴の膝に預けた。
このまま眠りに入りたい心地だったが、上から覗き込む顔は眠ることを許して
くれそうにない。
次々に繰り出される珠貴の質問を受けながら、今日の出来事を順を追って話
した。
「……そんなことがあったの……それで、葵さん、わかってたの?
怪我は彼のせいだったってこと」
「子どもたち数人で追いかけっこをしていたが、しゃがんでいた葵ちゃんが
邪魔で押しのけたそうだ。
葵ちゃんはその弾みで倒れて、石で怪我をした。
大地が背中を押したのはわかってたそうだ……
だが、あのとき言わなかったんだよなぁ。
誰かに押されたのかと大人たちが聞いても、転んだんだと言い張ってた。
どうして黙ってたんだろう」
「子ども心に、大事になるとわかっていたんじゃないかしら」
「5歳の子がそんなこと考えるか?」
「考えるわよ。大人の事情が周りに渦巻いた環境で育った
子どもたちですもの。宗にも覚えがあるでしょう?」
「うーん、あるような、ないような」
「女は小さい頃から女なんです」
「ふぅん、そんなもんかな」
「大地さんが葵さんのこと好きだと、小さな彼女はわかっていたのよ」
「大地が?」
気がつかなかったの? と呆れ顔で問い返され正直ムッとしたが、それなら
すべてつじつまが合うのだから、珠貴の言うことに間違いはなさそうだ。
謝るきっかけを探っていた大地は、今朝思い切って八木沢家に電話をした。
そこで、彼女が近衛の家を訪ねて行ったと聞かされ、あわてて我が家にやって
来たというのが今日の顛末だった。
「大地さん、近衛宗一郎に大事な葵さんを取られると思ったんでしょうね」
「勝手にライバルにされちゃ迷惑だ」
「賭けてもいいわ。大地さんと葵さん、この先お付き合いが
はじまるでしょうね」
すべてをわかったように話すのが面白くなく、珠貴の勝ち誇った顔を見たく
なくて顔を横に向けると、頭上から 「ふふっ」 と忍び笑いが聞こえてきて、
ますます不機嫌になった。
それにしても……と考える。
くそっ、アイツが葵ちゃんの相手になるのか、ますます気にいらん。
そう思いながらも、連れだって帰っていく二人の後姿は、ずっとそうしてきた
ように自然だった。
「おなかすいたでしょう。準備するから膝からおりてね」
余裕の笑みでそう言うと、返事も待たずに私の頭をソファに置いて珠貴は立ち
上がった。
あまりにも平然としている顔を驚かせようと、キッチンに行く背中に声をか
けた。
「親父、俺たちのこと知ってたよ。君を気に入ったそうだ」
「そうみたいね。あなたのお父さまから、お電話をいただきましたから」
「ちょっと待て、いつ話したんだよ」
「そのお話は、お食事のあとでね」
いつもと変わらぬ声がする。
驚いたのはこっちだ、いったいどうなってるんだ。
どこまでも余裕の彼女に、手のひらの上で転がされている気分だった。