ボレロ - 第二楽章 -
「昨日は遅かったみたいね」
「そんなことないわ、12時前には帰ってきたはずよ」
「いいえ、もう少し遅かったでしょう」
「そうだったかしら」
「この頃帰りが遅いわね。昨夜はどなたと?
櫻井さんがご一緒ではなかったわね」
朝食のテーブルにつくと、待っていたように母が口を開いた。
櫻井さんを口実にとの考えは母にあっさり否定され、他の理由を急いで探した。
「……お友達よ」
「だから、どなたとお会いしたの」
朝食の席ではじまった小言にうんざりした。
ただでさえスッキリしない朝を迎えたというのに、余計に気分が滅入ってくる。
いつものことだと軽くいなしていたが、今朝に限って追及の手を緩めない。
「子どもじゃないのよ。お母さまにすべてを報告する必要はないでしょう」
「昨夜、櫻井さんがいらっしゃったのよ。
事件のあとも、ずっとお力を貸してくださって。
それなのに、あなたときたら帰ってこないから」
「櫻井さんがいらっしゃるなんて知らなかったもの。
勝手に待たれても困ります。
櫻井さんは、お父さまにご用でいらしたんでしょう? 私には関係ないわ」
「関係ないことはないでしょう。
元はといえば、あなたが関わったことじゃありませんか」
櫻井さんから 「これ以上のお付き合いは、互いのためになりませんね」 と、
距離を置く言葉をもらった。
「あなたの手を引いたのは僕なのに、気持ちまでは連れて行けなかった
ようだ……」
新年を迎えてまもなく食事に誘われた席で、櫻井さんから気持ちを伝えられた。
事件のさなか、出張先へ向かわなければならなかった宗は、櫻井さんに私の
救出を託したのだった。
「あの非常事態で、あなたをほかの男の手に託すなど、
よほどの自信がなければできない。
僕には近衛さんのような決断は無理だな。
そう思った時点で、負けは決まっていましたね」
「櫻井さんが助けてくださったから、私はこうしていられるんです。
勝ち負けではなく……どうお伝えしたらいいのでしょう」
「もう、ずっとまえからわかっていたことなのに、僕は認めようとしなかった。
決定打を目の当たりにして、やっと……
最後くらい潔くさせてください。ご両親には僕からお話します」
それが、昨夜の櫻井さんの訪問の意味だったのだろう。
約束どおり、両親に伝えてくれたようだ。
「櫻井さん、珠貴さんには、もっとふさわしい方がいらっしゃるのでと、
そうおっしゃったのよ。
あなた どなたか他の方と……」
「言葉のあやでしょう。お母さまの気にしすぎです」
母の話が終わらぬうちに言葉を重ね、話をたたみこんだつもりが、それにして
もお友達と会うにしては帰宅が遅すぎると、なおも食い下がってくる。