ボレロ - 第二楽章 -
ひと月前の私は今以上の忙しさもあり、珠貴のことさえ忘れかけていた。
ひとたび仕事に入ると、プライベートな部分のほとんどを思い出すことはなく、
面倒な打ち合わせを目前にすると、ほとんどどころか、完全に仕事以外のこと
は忘れてしまうのだった。
日々の珠貴との電話は、いろんな意味で忘れていたことを思い出させてくれた。
彼女は忙しいと言いながらも仕事ばかりではなく、友人たちとの付き合いもこ
なし、趣味であるオペラ鑑賞も欠かしていない。
今夜は宗のお母さまにお会いしたのよ、なとど、驚くようなこともときどき
言ってくれる。
彼女を母親に紹介してからというもの、私抜きで二人で会って食事などもして
いるらしい。
女性は同時にいろんなことができるから、万事をこなす家事に向いているのだ
と聞いたことがある。
その能力をビジネスに向けたらどうなるのか。
方々にアンテナを伸ばし、男が右往左往していたことも難なくこなしてしまう
のではないだろうか。
そうか、だからこのところ女性の企業家の成功が多いのかと、なんとなく納得
するものがあった。
珠貴など、まさにそのタイプかもしれない。
三月に入ってすぐのことだった。
明日の会合も向こう側のトップは女性だとの平岡の説明に 「なるほどねぇ」
と、自分だけわかった相槌をうった。
「何が、なるほどですか?」
「最近、女性のエースが多いと思ってね」
「多いですね。以前なら男性ばかりだったビジネス講座も、
この頃は女性が増えて、すごい人気らしいです」
「そういえば、浜尾君も通ってると言ってなかったか?」
「らしいですね。あの人、あれ以上スキルを磨いて何をするつもりかな」
「ポテンシャルを引き出す努力を欠かさないってことじゃないか。
平岡、おまえの地位も危ないかもしれないぞ」
「それ、冗談になってません。今でも充分僕らを脅かしてるのに」
でも、浜尾さんに負けられませんからねと言う平岡も、彼なりに考えているこ
とがあるらしい。
浜尾君の頑張りは他の社員にも良い影響を与えているらしく、自己開発はいい
傾向ですよと、上司の顔で報告があった。
その顔がふっとゆるみ 「ところで」 と膝を進めてきた。
「その浜尾さんですが、14日の午後、休暇をとったんですよ。
何かあると思いませんか」
「何かってなんだよ。予定があるから休暇をとるんだろう。それがどうした」
「いや、だから、誰かに会う予定じゃないかと思って」
「そんなこと知るか」
「先輩は気にならないんですか。僕は気になりますね。
あの浜尾さんが、3月14日に休むんですよ」
平岡が何を言いたいのか皆目見当がつかず、怪訝そうな顔を向けると
「えっ」 と大げさに驚き見返された。