ボレロ - 第二楽章 -
「ごめんなさいね。白州さん側の都合で、どうしても来週お会いしたと
押し切られちゃったの」
「申し込んだ方が都合を優先させるとはね。
向こうのペースに巻きこまれないようにしろよ」
「そんなことにはなりませんから、心配しないで」
「だけど彼は押しが強いからなぁ。
珠貴にその気はなくても、周りから攻めるってこともありうるだろう」
「そうなの。あのお月見の会も、白州さん、私が出席するとわかって
急遽参加されたそうなのよ。
あなたや大叔母さまもご一緒だったのに、強引に話しかけてきたでしょう。
私の迷惑そうな顔がわからなかったのかしら。
それなのに、母には私が白州さんに関心をもっているようだ、
なんて言ってるのよ。いやだわ」
「まずは売り込むことが肝心だからな。彼も必死だったんだろう。
珠貴、シロナガスクジラになびくなよ」
テーブルの下で膝先をつつきながら、恋人として嬉しいことを言ってくれる。
「私は、お家柄を自慢なさる方に興味はないわ。
でもね、父はあなたに興味があるみたい……」
紗妃が宗を気に入っていると言ったことから、父が妹の縁談を言い出した話を
すると、エスプレッソの深い香りを楽しんでいた顔が、仰天したように私を振
り向いた。
「えっ、俺が紗妃ちゃんと?
それは無茶だな、いくらなんでもありえないだろう。
紗妃ちゃん、まだ高校生だぞ」
「でも父は無理はないって言うのよ。
15・6歳の年齢差くらい、どうってことないそうよ。どうする?」
「どうするって、珠貴、本気で聞いてるんじゃないだろうな」
「私には冗談にしか思えなくても、父は本気なの。
婚約だけでも先に、なんて言葉が出たんですもの。驚くわ」
「まさか……」
「紗妃にはあなたを、私には白洲さんですって。
これで、須藤の家は安泰だと思ったんでしょうね」
冗談交じりに話していたつもりなのに、私の目は次第に潤み、唇をきつく噛み
締めていた。
そんな顔を見られたくなくて、宗から顔を背けた瞬間、ふいに悔し涙が零れ落
ちた。
「珠貴」
「見ないで……いま、私……すごく嫌な顔をしてるから」
テーブルの上で拳を握り締めた私の手を、宗の大きな手が包み込んだ。
その温かさに、また涙が溢れてきた。
「出よう。ここでできる話じゃなさそうだ」
座ったばかりなのに、すぐに立ち上がった私たちを、顔なじみのウエイターが
不思議そうに見ていたが 「用事を思い出した またくるよ」 と宗が彼に声
をかけると、お待ちしておりますの言葉が返ってきた。
うつむいたままの私は、宗に抱かれるようにして、のぼったばかりの螺旋階段
をおりることになった。