ボレロ - 第二楽章 -
20. piu mosso ピュウ モッソ (今までより速く)
海沿いの道を緩やかなカーブを描きながら、ほどよいスピードで車が走り抜
ける。
スピードとパワーを重視した車種で、ターボエンジン搭載のスポーツカーだ。
知弘さんの印象から、こういったタイプの車を選ぶようには見受けられなかっ
たのだが、人の意外性はこんなところにあるのかもしれない。
「このシート座り心地がいいですね。
純正じゃないみたいだな、付け替えたんですか?」
「さすが宗一郎君、こだわりをわかってもらえるのは嬉しいな。
ここのメーカーのシートはホールド性に優れているから、
長距離の運転も疲れない。
これから乗る機会も増えるからね、気にいったものに取り替えたんだ」
「正式に本社入りが決まったそうですね」
「うん……久しぶりに日本で暮らすことになりそうだよ」
知弘さんが帰国したのは 『SUDO』 の本社に入るためだと聞き、正直驚い
たものだ。
今でも取締役に名を連ねてはいるが、貿易商として海外を拠点に仕事をしてい
る知弘さんが、直接本社業務に携わることはないだろうと思っていた。
「向こうの仕事はやめるんですか」
「いや、海外の情報も必要だ。たたむわけにはいかない」
「情報というと?」
「そうだな、君には先に話しておいたほうがよさそうだね。
少し休憩しようか」
車をとめたのは海に突き出した展望台で、遠くに太平洋の水平線が見える眺め
の良い場所だった。
「ここにくるとホッとするな……あれから半年以上たったんだね」
「知弘さんも大変でしたね」
昨年の珠貴の誘拐の原因は、社内の派閥争いに乗じた業務妨害で、問屋と
海外ブランドが絡む根の深い事件だった。
イタリアブランドの介入が明らかになり、その調査のため、知弘さんはこの
半年間は日本と欧州を行き来していた。
現職の本社専務が事件にかかわっていたが、現社長の妹婿でもあり、事件の関
与が世間にわかっては会社にとってマイナスになることから、表向きは健康上
の都合を理由に専務の職を離れたのだった。
この事件により、『SUDO』 内部にも大きな変化があった。
専務の引退で、次期社長の席は常務に決まったのかといえばそうではなく、
白紙に戻された。
それというの、 社長と常務の間に経営に対する姿勢の違いが大きいからだと
珠貴から聞いている。
そんな中、知弘さんの 『SUDO』 本社入りが正式に決まった。
一族とはいえ、これまで外の世界にいた人が経営に参加することになる。
「私の専務の就任は決まっている。
こうなったらやるしかないが、不安がないとは言いきれなくてね」
「お気持ち、お察しします」
「急に乗り込んできた私に、畑違いの仕事ができるのかと誰もが思うだろう」
「いえ、そんなことは」
心の中を見透かされたような返事に、どう話を続けていいのか戸惑っていると、
ふふっと笑った顔が、ここからが本題だと伝えてきた。
「私の仕事の半分は 『SUDO』 に関係のあるものだった」
「えっ、どういう意味ですか」
「貿易の仕事は、本業でありながら本業ではないというか、
半分そうだったと言った方がいいかな」
「会社のために、秘密裏に動いていたと?」
「私が 『SUDO』 のために動いていたのを知っているのは兄と父だけだ。
珠貴も他の兄弟たちも知らない。
長らく欧州を拠点に仕事をしていたから、
現地で得た情報をたまに提供していたと、そう思われているが、
実のところはそうでもなくてね……
さて、そろそろ行こうか。両親が首を長くして待っていることでしょう。
歳をとるとせっかちになるからね」
これから向かう先は、伊豆にある須藤会長の自宅だった。
その日私は、珠貴の祖父である 『SUDO』 の会長 須藤幸喜氏に会う約束
になっていた。