ボレロ - 第二楽章 -


テラスの中の椅子に座るように私を促し自分も腰掛けると、夫人はすうっと息

を吸い、それからゆっくり吐き出した。



「私も須藤の家に入っておりますので、身内のことを申し上げるのは

ためらわれるのですが……

先ほどもお話しましたが、私と一緒になったばかりに、

主人は子どもたちと疎遠になっております。

ですが、孝一郎さんのご一家だけは変わらぬお付き合いが続いております。 

お顔を見せてくだされば嬉しいものです。孫というのはなおさらですものね。

主人が珠貴さんや紗妃さんを可愛く思うのは、あたりまえではないでしょうか。

ことに珠貴さんは跡を継いでくれる方ですから、特別な思いもあるのでしょう。

ところが、他のみなさまには、それがお気に召さないようで……」


「会長が、珠貴に肩入れしているとでも?」


「えぇ、珠貴さんばかりを可愛がる。

孫は平等に扱うべきなのに、なぜ差別をするのかと。

それに、自分たちも親の再婚で精神的苦痛を強いられた。

もっと大事にされてもいいはずだと、そうおっしゃって」


「そのことが、珠貴へ厳しい目になっているというんですか。

そんなのはおかしいじゃないですか。 

自分たちで隔たりを作っておきながら、いまさら精神的苦痛もないもんだ」


「そこが人の難しいところでしょうね。

一度歪んでしまった気持ちは、戻すのは困難のようです」



珠貴の叔父や叔母にあたる人だけでなく、従兄弟たちからも風当たりが強いの

だと、夫人は辛そうな顔をした。

それもこれも自分が須藤の籍に入ったことが原因だと言うが、私には親族の

馬鹿げた言いがかりにしか思えない。

それでも歪んだ感情は存在している。

親族であるからこそ複雑で根が深いのだろう。



「お話はわかりました。彼女は私が全力で守ります。

ですから、あまりご自分のことをそのように思われないように」


「私にまでお気遣いを……あぁ、お話してよかったわ。

これで安心いたしました」



遠くの水平線へ目を向けた穏やかな横顔には、安堵の表情が浮かんでいた。

賢い人であり、女性としての慎みもたずさえている。

魅力的な女性だった。



「もうひとつ……これは私の老婆心からですが、よろしいかしら」


「何でもおっしゃってください。心してお聞きします」


「宗一郎さんは楽しい方ですね」



艶やかな笑い声のあとに、珠貴さんのお母さまですけれど……と気になる言葉

が続いた。

 

「お父さまにお話する前に、お母さまの紀代子さんにお話なさった方が

いいでしょう」


「それは、なにか理由が?」


「母親というのは、自分が先に子どものことを知ることで、

安心して夫に話をするものです。逆に自分だけが知らなかったら……」


「どうなるんですか」


「機嫌を損なうだけではすまないでしょうね。

どんなに言葉を尽くしてもらっても、素直になれないのです」


「それが女性の心理ですか」


「えぇ、自分が先に知っていた。それだけで優越感に浸ることができますから。

けれど逆になると大変ですよ。女とはそういうものです。

覚えておいてくださいね」


「肝に銘じます」



神妙なお顔は、お父さまによく似てらっしゃいますねと夫人に言われ、父を

知っているのかと聞くと、お若い頃、何度かお目にかかりましたということ

だった。

滅多にでない表座敷で須藤会長に会ったのだと昔話も語られ、庭を一周しなが

ら楽しい話をうかがった。


会長宅を辞したのはそれからまもなく、庭から見える太平洋に日が沈みかけて

いた。


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