ボレロ - 第二楽章 -
「自分が近衛の娘ということも、彼といると忘れてしまいそうになって……
ふふっ、実際、向こうにいるときは、近衛静夏だってこと忘れていましたけどね」
「知弘さんは家や生まれにこだわらないの。自由な人なのよ、知弘さんって」
「そうなんです。常識的なのに、思考が柔軟で自由で、それに、自分の考えで相手を束縛しないでしょう。
だからといって、誰でも受け入れるわけじゃない。人付き合いは上手いのに、人あしらいもお上手なんだもの」
「静夏ちゃん、知弘さんのことを本当によくわかってるわ。そのとおりよ、誰でも受け入れそうで受け入れないの。
そんな人だから、形式にとらわれない。結婚はしないとばかり思ってたのよ」
えっ……と言った彼女の顔が私を見据え、信じられない言葉を聞いたような顔をしている。
「結婚すると言ったの? あの人、そんなこと、ひと言だって……」
「ハッキリ言ったわけじゃないの。私の母に問い詰められて、家庭を持つおつもりはあるのと聞かれて、いつかそうなればいいと思ってるって。
私ね、知弘さんのお話を聞いて、お相手は静夏ちゃんかしらと思ったの。
だから、そうなればどんなにいいかと嬉しくて」
私の笑顔と対照的に、静夏ちゃんは哀しい目をしていた。
唇は小刻みに震え、苦しみをじっと堪えている。
「まただわ……どうして何もかも自分で決めてしまうのかしら、そんなことなかったのに……
帰国すると決めてから、あの人の心が見えなくなったの。私には理解できない人になってしまった」
顔を覆った手の隙間から、彼女の悲痛な様子が見える。
本社入りを決めた知弘さんにどんな変化があったのか、私は知らなければいけない。
「静夏ちゃん、私にも教えて。おふたりの間でどんなお話があったの?」
「……兄の力になりたい。だから、一時帰国するんだって。
会社を軌道に乗せて珠貴さんに引き継いだら、また戻ってくるからって」
「静夏ちゃんのもとに、戻ってくると言ったのね。それなら」
「それまで待てってことでしょう? 私に待っていろって、そう言うのよ。
どうして一緒にと言ってくれないのか、もどかしくて、情けなくて、寂しくて……」
「それは……あなたに苦労させたくないから」
「えぇ、わかるわ。あの人もそう言っていた。私を巻き込みたくないって、でもいまさら何?
もう充分にあの人の人生に関わってるのに、急にかかわりを拒絶するようなことを言うの?
待てば、何かが変わるとでも? なにもかも否定された思いがしたわ……」
「日本では、あなたに窮屈な思いをさせると考えたんじゃないかしら。だから向こうで待つようにって」
「じゃぁ、珠貴さんにお聞きします。宗に同じことを言われたらどう思います? じっと黙って待っていられるの?」
待っていられるかとの言葉が胸に食い込み、奥まで突き進んでくる。
「……待てないわ……」
「私も同じ。結婚の約束なんて、そんなのいらない。そばにいたいのに……それだけなのに……」
あまりにも純粋な想いに胸が震えた。
そばにいたいだけと訴える彼女の言葉が、じわりと胸の中に広がっていく。
「そばにいたいって気持ち、知弘さんに伝えたの?」
「何度も言ったわ。でも、答えはいつも同じ、待ってくれって、それしか言ってくれないの。
待てないと言うと、どうしてだって、そのくり返し……
いままで、あの人の言葉はすべてわかったの。どんなことだって理解できたのに、心が寄り添わなくなったの。
もう……だめみたい……わたしたち……」
最後の搾り出すような言葉に、彼女の心の叫びがこめられていた。