ボレロ - 第二楽章 -
ベッドに横たわる静夏ちゃんの顔は、私が部屋を出る前と変わりなかったが、
規則的な呼吸の合間に見せる、顔を歪ませ苦痛に耐える表情が怪我を負ったと
示している。
怪我の程度は軽いものだったが、精神的ショックが大きかったようですと担当
の医師から告げられた。
処置室から部屋に移されてまもなく、宗と知弘さんが血相を変えて飛び込んで
きた。
二人の姿をみると 「ごめんなさい……」 とだけ言い、静夏ちゃんは顔を背
けてしまった。
”ごめんなさい” の言葉は、彼らに心配をかけたことへの謝罪とも受け取れ
るが、私には、自らの行動を悔い、責任を感じて口を出た謝罪のように感じら
れた。
静夏ちゃんの頬に残る涙のあとを、知弘さんがそっと拭った。
その手を拒むように目を閉じた彼女は、まもなく眠ってしまったのだった。
知弘さんは、それからずっとそばから離れずにいる 。
膝上でギュッと握り締めた手が、こんな事態になったのは自分のせいだと言う
ように、ときおり小刻みに震えていた。
宗が私の背中を軽く叩いた。
目で廊下へ出るようにうながされ、無言で頷き彼の後ろにしたがった。
「狩野から電話をもらった。佐保さんが紹介したホテルだったそうだな。
申し訳ありませんでしたと、佐保さんに泣きながら謝られて困ったよ」
「佐保さんは何も悪くないのに、どうしましょう。
彼女にも迷惑をかけてしまったわ。
きっと、責任を感じていらっしゃるわね」
「そうだろう、珠貴に申し訳ないと言っていた。
佐保さんに、君から話をしておいてくれ」
「そのつもりです」
「事件のことも聞いた。狩野がホテル側に詳しく聞いてくれたそうだ。
女性専用の階に男が入り込み、部屋を物色している最中、たまたま開いたドア
にぶつかった。
そこに出てきた静夏ともみ合いになった。不審者は宿泊客のひとりだそうだ 。
どれほどセキュリティーを厳重にしても、客の行動まで制限はできない。
ホテル側にも盲点があったんだろう」
「まぁ……」
「起こるべくして起こった事件だと狩野は言うが、そう言いながら、
ホテル側の事情も考慮してもらえないかと言われてね。
つかまえた不審者を調べたところ、ホテルの常連客の関係者で、
いわゆる親が大物ってヤツだ。
名前が公になっては困る立場の人間で、ホテル側も対応に苦慮しているらしい。
幸い、静夏もたいした怪我もなかったことだ。示談になるだろうが、
今後は俺が対応するよ」
「お願いします。すみませんでした。
私が目を離さなければ、こんなことにならなかったのに……」
「誰のせいでもない」
うなだれる私の肩に、宗の手が優しく添えられた。
誰のせいでもないと言われても、やはり私の責任ではないかと悔やまれてなら
ない。
廊下の奥からヒールの音が響いてきた。
音に振り向くと、宗のおかあさまが小走りでやってくるところだった 。
「珠貴さん、大変でしたね。ご迷惑をおかけしました」
「いいえ、とんでもない。
私のほうこそ、ご一緒していながら申し訳ありませんでした」
頭を下げる私を制して、静夏はここねと穏やかな問いかけがあり、病室へ案内
した。
病室前の声が聞こえていたのだろう 、知弘さんが歩み寄り、立ち止まると姿勢
を正し一礼した。
ゆっくり知弘さんに礼を返したあと、おかあさまは静夏ちゃんのベッドへと近
づき、よく眠っていますねと母親らしい安心した顔をされ、横で怪我の状態や
容態を伝える知弘さんの声を、じっと聞き入っていらした。
拳を握り締めた知弘さんが、震えるように声をしぼりだした。
「申し訳ありませんでした。責任のすべては私にあります」
「静夏の母でございます。
静夏が好きな方ですね、やっとお目にかかれました。
わたくし、あなたにお会いしたいと思っておりましたのよ」
深々と頭を下げる知弘さんへ、宗のおかあさまの思いがけない言葉だった。