ボレロ - 第二楽章 -


「お疲れ様でした。それにしても、よくこなしましたね。

今度の先輩の頑張りには、静夏さんも感謝してるでしょうね」


「感謝してくれなきゃ困る。お返しだと言ったそうだが、

俺はアイツの何倍もの働きをしたぞ。

平岡にも手間を掛けた。ありがたいと思ってるよ」


「ははっ、やめてくださいよ。先輩からありがたいなんていわれたら、

雨か雹が降りそうです」


「なんだよ、せっかく素直に言ってるのに。

まぁいい、平岡がスケジュールを調整してくれたから、 

これだけのことができたんだ。俺一人では、到底無理だったよ」



いいですよ、そんなの、と平岡の照れた顔がルームミラーに写っていた。

仕事もプライベートの時間も彼が管理調整し、みずから運転手を引き受けてく

れた。

私のすべてを知っている平岡だからこそ頼めたのであって、彼の働きがなけ

れば、これほどスムーズに事は運ばなかっただろう。



「静夏さん、出産まで帰国しないそうですが、大丈夫ですか」


「お袋がときどき行くそうだ。ときどきどころか、

しょっちゅう行きそうな気配だよ。心配ないさ」


「そうですが、欧州支社のみなさん、奥さまの渡欧を

ご存知なんじゃないかと思って。 

気をつけたほうがいいですよ。特に、高木支社長夫人は要注意人物ですから」


「あの強引な支社長夫人か……まずいな、静夏のことが知られたら大変だ」



珠貴の誘拐事件後、彼女と過ごすためイタリアへ赴き、病気を理由に滞在して

いた私のもとへ、わざわざドイツから駆けつけた支社長夫人だった。

支社長夫人の見舞いは名目上筋が通っているが、娘を引き連れ 「副社長の

お力になりたいので」 と、押しかけたのは点数稼ぎといえなくもなく、折り

よく私の看病だといってやってきた静夏が、支社長母娘を撃退したのだった。

少なからず静夏へ、良い感触を持ってはいないはずの母娘である。

静夏の現在の周辺を知ったらどうなるのか……


   
「理由をつけて支社長を日本に帰すか、転属……ってわけにはいきませんね」


「無理だな。この時期に支社長が動いたら、欧州支社で何かあったと思われる。 

社内だけでなく社外も騒ぐだろう。なんとか夫人と娘だけでも、

日本に引き止められないものだろうか」


「あの夫人には、僕も迷惑してますからね」



平岡が苦々しい顔をするのももっともで、支社長夫人は昨年イタリアのホテル

で顔を合わせた平岡を、副社長秘書はもっと気働きがなくてはと叱咤してい

たが、彼の父親がグループ会社のトップであるとわかるやいなや、態度を急変

させたのだった。

そればかりか、その後、ある人物を通じて、平岡へ娘との縁談を持ち込んで

きた。



「冗談じゃないですよ。あんな押しの強い母親、願い下げです。

それより、僕に良い考えがあるんですが」



平岡の顔に、よからぬ考えを持った笑みが浮かんでいる。

ハンドルを握りながら、平岡は楽しい提案をしてきた。


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