ボレロ - 第二楽章 -
「我が家に縁談を持ち込んだ山下夫人、先輩、この人を知ってますか?」
「いや」
「旧山下商会の会長夫人で、なんでも縁談の仲立ちが好きな人物だとかで、
これまでも、相当数の縁談をまとめてきた人物らしいです。
ですが、最近は山下さんを頼る人も減っているそうで、
縁談をまとめるのが生きがいだったのに、
手応えがないのは寂しいと嘆いていたそうです。
そんなこともあって、高木さんが持ち込んだ話に躍起になったそうです。
僕は相当迷惑しましたけどね。ホントにしつこいんですから」
「なるほどね。で、どうするんだ?」
「山下夫人という人は、いったん話を引き受けたら、
結婚相手が決まるまで奔走してくれる、面倒見のいい律儀な人だそうです。
それを逆手に取るんですよ。
高木さんのお嬢さんの縁談を、なんとしてもまとめて欲しいと
内密に頼むんです」
「誰が頼むんだ?」
「先輩が依頼人です。僕の上司として山下夫人に依頼してください。
部下が、せっかく頂いた話を断ってしまった。申し訳ない。
ついては、高木さんのお嬢さんに、もっともふさわしい相手を世話して
もらえないだろうかってね」
「おまえのために頭を下げるってのがひっかかるが、
そうだな、上手くいけばこっちにも好都合。
高木母娘にも、いい話じゃないか」
彼の提案を実行するため、さっそく山下夫人に連絡を取った。
電話の向こうの人は、それは感激した様子で
『まぁ、まぁ、部下の方のためにそこまでなさるなんて、
なんて麗しいお話でしょう。
高木さまのお嬢さまには、最高の方をご紹介させていただきます』
内密の依頼に張り切っている。
ついては、高木家に気を遣わせないためにも、こちら側の名前は伏せて欲しい
と念を押し、縁談がまとまったなら、それ相応の礼をさせていただきたいと伝
えると、山下夫人の声は、いっそう甲高くなり
『そのようなことは、おほほ……恐れ入ります。えぇ、おまかせください』
と、こちらの思惑通りの返事だった。
「あぁいう人は、誰かの役に立つのが無上の喜びなんでしょうね。
それにしても上手くいきましたね」
「ははっ、まったくだ。これで静夏の身辺はひとまず安心だな」
「あとは、ご自分のほうですね」
「うん……」
「いっそのこと先輩も……あっ、いえ、なんでもありません」
「なんだよ、言いかけてやめるなよ。気になるじゃないか」
「いいえ、軽率でした。すみません」
うつむいた平岡の言いたいことはわかっていた。
静夏の妊娠騒動のあとだ、私たちの事情を知るものなら誰しも同じ事を思った
だろうが、冗談で口にするには繊細な問題だ、そう思えばこそ平岡は言葉を飲
み込んだのだった。
「子どもでもできれば、事は早急にすすむんだろうがね」
「先輩……」
「俺は俺のやり方を実行するだけだ。気にするな」
平岡はもちろん、私の両親、潤一郎に紫子、静夏と知弘さん、近衛の大叔母、
それに伊豆の会長夫妻、狩野をはじめとした友人たちも、私と珠貴を応援して
くれている。
それだけではない 『シャンタン』 の羽田さん、『筧』 の大女将も静かに
見守ってくれている人々だ。
こんなにも多くの人々に支えられている。
必ず道はある……
曽祖父の言葉が、胸の奥にゆっくりと沈んでいった。