ボレロ - 第二楽章 -
宗が得策を思いついたようだ、彼に任せておけばいい。
私にもいつか話してくれるはずだから、安心して待てばいい。
多少のことでは気持ちは揺らがない、大丈夫。
そう思っていたのに……
昨夜も、さる方からのご紹介だけど、と父を前に話が始まったが、こんなに
素晴らしい方なのよと母に力説されても、まったくその気のない私に関心は
なく、つい気乗りのしない返事をしてしまい、それが母の勘にさわった。
あなたは自分のことなのに関心がなさ過ぎると、声を張り上げて私を叱責した
のだった。
父は、こんなとき言葉を挟むことなく、母にすべてを任せる立場を取るのが
常で、昨夜も母の怒りを横目にすっと席をはずし自室に引き上げていった。
父が部屋を出ると、母はますます語気を荒げ私の感情を刺激した。
「わかっています。自分のことは自分で決めます」
「そういうわけにはいきません。あなただけの問題じゃないの。
あのね、このお話がどれほど」
「どれほど素晴らしい方でも、気が進まないの」
言ってしまったあとで言い過ぎたと後悔したが、後の祭りとはこのことで、
母の怒りは頂点に達しようとしていた。
今にも爆発しそうな口が、開くか開かないかの境目で小刻みに震えているのが
目に入った。
母と娘の言い合いは、感情的になってからでは収集がつかなくなる。
このままでは、どちらも引き下がれなくなると思い、すぐさま感情を一歩引き
言い直した。
「ごめんなさい。言い過ぎました……少し考えさせてください」
「えっ、えぇ。そうね……」
私の急な態度の変化に母も言葉を引いた。
明日は友人と約束があるので朝早く出かけます、と言い残し、母の前から立ち
去ったのだった。
いつもなら 「どなたとご一緒なの?」 と聞いてくるのに、昨夜はその問い
かけもなく 「おやすみなさい」 とだけ背中に告げられた。
早朝5時に迎えに行く、君の家の通用門近くにいると宗に言われていたため、
早起きをして身支度を整えると
そっと玄関を出た。
朝靄の庭を通り、彼が待っているはずの通用門へと向かうため裏庭へと足を踏
み入れたところで、驚くことに母に出くわした。
「まぁ、早いこと。こんなに早く出かけるお約束だったの?」
「朝のラッシュを避けるためには、早いほうがいいの」
「遠くへ行くみたいね……今日はどなたとご一緒?」
昨日は母も気まずくそれどころではなかったのだろうが、今朝は忘れずに聞い
てきた。
ここで言いよどんではいけないと思い、母の誤解を期待して思い切って名前を
口にした。
「近衛さんよ」
「そうなの。気をつけていってらっしゃいね」
「えぇ……」
思ったとおり、近衛と聞いた母は、紫子さんが一緒だと判断した。
余計なことは言わず 「いってきます」 と告げ母の前を過ぎようとしたが、
歩みの方向が一緒で、母の足も通用門へと向いている。