ボレロ - 第二楽章 -
突然、散策路を歩く宗の足が止まった。
私の肩に手をおき、すかさず体を引き寄せ、耳に唇が触れるほど顔を傾けた。
「どうした?」
「うぅん、いいの」
「よくない。無言は何も生み出さない。言いたい事は口にすること」
「そうね……母にどう話したらいいのかと思ったの。
帰ったら、きっとあなたのことを聞かれるわ」
「そうだね、間違いなく聞かれるだろうね。
近衛のことをどうして隠していたのかと、問い詰められるかもしれない」
そう言いながらも口の端が上がり、楽しそうな表情だ。
どうしてそんな顔をしていられるの? 私が困るとわかっていながら、なぜ?
言葉とはちぐはぐな表情が不可解だった。
「あなたの顔、とても楽しそうに見えるんだけど」
「そう?」
「えぇ、私の心配をしてくれないの?」
「いい機会じゃないか、俺のことを話せばいい」
「えっ、あなたのことを母に話しても?」
「何も悪いことをしたわけじゃない。こう言うんだ。
近衛宗一郎に誘われた、それに応じただけだと」
「あなたと、おつきあいしているのかと聞かれるわ」
「聞かれるだろうね。ならば、正直に答えればいい」
「簡単に言わないで! いままで、それができずに窮屈な思いをしてきたのよ。
何から話せばいいの? 聞いた母だって混乱するわ。
無責任なことを言うのね、あなたらしくもない」
私たちにとっては大事なことなのに、重みを欠いた宗の発言が信じられな
かった。
いつも私の立場を考え、私の気持ちを思いやってくれていたのに、急にどうし
たのだろう。
先ほどまでの彼の決意もうわべだけのものに見え、哀しくなってきた。
「珠貴、こうは考えられないか」
「どう考えるの? 私はあなたほど気楽に考えられません」
いまさら何を言うつもりなのか、腹立たしさも手伝って、私は彼から顔を背けた。
「実は……と、いきなり話し出すより、話すきっかけがあったほうが
話しやすいはずだ。
見ず知らずの男を紹介するのは難しいだろうが、
さいわい、俺は君のご両親と面識がある。
須藤社長とは、仕事でつながりをもつことができた。
それに、君の誘拐事件の解決に、俺も少なからず関わっていたことは、
ご両親もご存知だ。
俺たちに接点があっても不自然ではないよ。気負わず話せばいいじゃないか」
「そうだけど……」
宗の言うことにも一理ある。
確かに、今日ほど母へ打ち明けるにふさわしい日はないかもしれない。
どうやっても母との対面は避けられないのだ。
宗が言うように気負わず……とはいかないだろうが、母に聞かれたら答えるし
かないと思い直した。
蝉時雨の森をしばらく散策して、私たちは帰路に着いた。