ボレロ - 第二楽章 -
途中、帰宅を知らせる電話を母にかけるよう宗に言われた。
「帰りも、ご挨拶をしたほうがいいだろうと思ってね」 と、思いついたよう
なことを言う。
外出先から戻り、母親に会って親しく言葉を交わすのは効果的かもしれない。
けれど、それは交際が順調な場合だ。
私たちは順調どころか、場合によっては反対されるかもしれないというのに、
宗は何を考えているのだろうか。
「母の尋問にあうかもしれないわよ」 と脅かしてみたが、ニヤッと笑った顔
が 「なるようになるさ」 と、気にとめる様子もない。
彼の思惑をつかみきれず、暑いさなかにもかかわらず、私の手には冷や汗が滲
んできた。
予定通り昼前に家に帰り着くと、すでに母が待っていた。
朝は通用門だったが、今は堂々と玄関前に車を寄せて止め、助手席のドアを開
けた宗は、母の目の前で私の手を引き車から降ろした。
庭向こうには、こちらを心配そうに見ている北園さんの姿がある。
胸のドキドキがおさまらない私の横で、宗の落ち着き払った声がした。
「ただいま帰りました。今日はありがとうございました」
「こちらこそ、珠貴がお世話になりました。
昨年、その折も、近衛さんにはお力添えいただきまして……」
「いいえ、私はできることをしたまでのこと。
珠貴さんと、親しくお付き合いをさせていただいておりましたので」
親しくお付き合いなどと宗の大胆な発言に、私の心臓が大きく飛び跳ねてい
たが、母の動揺はそれ以上で、明らかに顔つきが変わっている。
母の肩越しに見える北園さんも驚いた顔を見せたのに、宗ひとりだけが涼しい
顔をしていた。
「娘が……珠貴が、近衛さんと親しくお付き合いをさせていただいていたとは、
わたくし、存じませんで……」
「今日は珠貴さんにお話したいことがありまして、私がお誘いしました。
朝早い時刻でしたが思いがけずお会いでき、
外出を快く了解していただけたこと感謝しております。
あらためてご挨拶に伺います」
ご挨拶と申しますと……と言った母の言葉が聞こえなかったように、宗は深々
と頭を下げた。
宗の畳み込むような勢いに母はおされ気味で、いつもの毅然とした姿勢がかす
んでいる。
それでも最低限の礼儀を欠かすことなく、挨拶を返したのはさすがだった。
帰り際、宗から手提げ袋を渡された。
「例の本が見つかったよ。青木先生に届けてほしい」 と言いながら……
宗の口から青木の名前が出ると、母の顔色が微かに変わった。
そんな母の様子を満足そうに見届け 「では、失礼いたします」 と告げ、
宗はにこやかに去っていったのだった。