ボレロ - 第二楽章 -


「珠貴ちゃん……近衛さんへ、ありがとうございましたと、

私が言っていたとお伝えしておいてちょうだい。

これから青木の家に行ってきます。本を届けてくるわ。

夕方には帰ってくるつもりですから」
  


母の背中を見ながら、さきほど、あの場で宗が私に本を渡した意味を考えて

いた。

もしかしたら、母の心をつかむための演出だったのではないかと……


では、この包みは何を意味しているのだろうか。 

宗から渡された手提げ袋には、もうひとつ品物が入っており、北園さんに渡し

て欲しいということだった。

品物の紙包みにメモが挟まれているのが見え、そこには見慣れた文字が並んで

いた。

個人へ渡す手紙を勝手に読んではいけないと思いながら興味をとめられず、

指先でメモをそっと引き抜くと、隠すようにして文字に目を走らせた。


『今朝はお世話になりました。またお力をお借りします。 近衛』


包みは和菓子の老舗のものだった。

この菓子店には、個数限定のきんつばがあったはず。

北園さんは大の甘党で、宗と同じでアルコールをほとんど嗜まない。

メモの内容から、今朝彼は、北園さんに何らかの世話になった。 

そのお礼の品としては、間違いのない選択だけれど…… 

「またお力をお借りします」 とは、どういうことだろうか。

混乱する頭を抱えていた私は、注意力を欠いていたようだ、背中から 

「珠貴お嬢さん」 と声をかけられ、飛び上がるほど驚いたのだから。



「ははっ、どうしたんですか。そんなに驚いて」


「あぁ、びっくりした。今日は驚くことばかりだわ。

あっ、そうだ。彼から預かってきました」



北園さんは、私が渡すのを待っていたように嬉しそうに包みを受け取り、

「これ、これですよ。一日20個の限定だ。なかなか手に入らなくてね」 と

頬ずりしている。

挟まれたメモに気がつき目を通すと、日に焼けた顔がニヤッと笑った。



「近衛の若には驚かされる。あんなに上手くいくとはねぇ。

次は何を考えているのか、こりゃ楽しみだな」


「なにが上手くいったんですか? 次って」


「あはは……うっかり口がすべったな。それ以上は言えませんよ。

これは、私と近衛の若の秘密ですから」



秘密ですか……と鸚鵡返ししながら、「あっ」 と声が出ていた。

老舗のきんつばは、北園さんが宗の協力者になったことへの謝礼だ。

宗との間に秘密を匂わす北園さんへ、私の憶測を問いかけた。



「今朝、彼が母に出会ったのは偶然じゃなかった……そうじゃありませんか?」


「さぁ、どうでしょう。私の口からは言えませんね。どうでも言いませんよ。

男と男の約束ですからね。さぁて、帰って茶でも飲むとしますか。

お嬢さんも頑張ってくださいよ。それじゃ、失礼します」



とぼけた北園さんの顔も宗と同じだった。

わかった、そういうことだったのね。

母に会うために、北園さんと打ち合わせをして偶然を装った。 

私がどれほど心配しても、宗は涼しい顔をしていたはずだ。 

「なんとかなるさ」 なんて、おどけたことを言い、気楽な振りができたのは、

そうなるように仕組んだのが宗自身だから。

朝の母との偶然の出会いも、外出の許可をもらう手はずも、帰宅後の挨拶も

そうだ。

祖父の本を渡したタイミングも絶妙だった。 

すべて、彼の計画通りに進んだ半日だったのだ。

なにもかも彼の思惑通り……


「どうして黙ってたのよ!」


宗が企てた策からはずされた腹立たしさに、庭の真ん中で私は地面をふみ叫ん

でいた。

私にまで内緒にするなんて、あんまりだ。

今ごろ、彼は後ろ手を組み、事が上手く運んだとひとりで悦に入っているに

違いない。

宗の得意げな顔が目に浮かぶ。


夏の日差しが降り注ぐ日のことだった。

庭の木々では、蝉がこれでもかと鳴き比べをしていた。





                    ・・・ 第二章 終 ・・・



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