ボレロ - 第二楽章 -


「浜尾さんとずいぶん話が弾んでたじゃないか。良かったよ」


「私、これでもかなり緊張してたのよ。

あなたのお母さまにお会いするより気を張ってたかもね」


「そうなの?」


「えぇ……」



二本目の煙草の先をかなり残し灰皿に押し付けながら、ふっと宗が笑う。



「俺も君らの会話が気が気じゃなかった」


「浜尾さん、私に良い印象を持ってくださったかしら」


「それはもう、間違いなくね」


「ならいいけれど……」



だけど真琴さんはそうじゃないわね……の言葉を飲み込み、私を引寄せた宗の

腕に頭を預けた。

私の顎をなで、首筋に指を這わせながら、浜尾さんの顔が満足そうだったと

宗の声は上機嫌だった。

促され触れるようにあわせた唇が次第に大胆な動きへと変わり、腰を抱く手が

背中から胸元へとせりあがってくる。

向こうの部屋に行こうとの宗の甘いささやきに、私は身を委ねながらも嫌だと

首をふった。



「どうした」


「今日は嫌なの」


「だからどうして」


「だって、さっきまで浜尾さんや真琴さんがいらした部屋なのよ。

とてもそんな気分にはなれないわ」


「彼女達は向こうの部屋には行ってないよ」


「それでも嫌なの。私の気持ちが整理できないの。

真琴さんたちの気配を消すことはできない」



あえて真琴さんと名前を挙げた私の気持ちなどわからないのか、宗は諦められ

ないといったように私の肌を刺激しながら、なおも誘ってくる。



「ねぇ、やめて……やめて!」



二度目の強い口調に、私の拒む気持ちが本気だとわかったのか、ようやく肌を

伝う手が動きをやめ腰を離したが、その顔は不機嫌そのものだった。



「送るよ」


「いいわ、お仕事があるんでしょう? 私、買い物もあるから気にしないで」


「じゃぁ付き合うよ」


「だからいいの。明日のお仕事の準備があるって、そう言ってたでしょう」



意地になって拒む私に 「わかったよ」 と言い放つと、宗の目はもう私を

見てはくれなかった。


乱れた衣服を整えバッグを肩に掛けてドアを出る私に 「また連絡する」 と

だけ宗の声が聞こえてきた。

「待ってるわ。お先に失礼します」 と振り向いたが、彼の顔は窓の外へと

向いたまま、別れの挨拶は気まずいまま終わっていた。




ひとりでフロント前を通り玄関へと向かう私に気がついたのか、狩野さんが

駆け寄ってきた。

私はよほど疲れた顔をしていたのだろう。

お車の用意をいたしましょうか、と狩野さんが声をかけてくれたのに黙って

頷き、やや間があった後、お願いしますと返事をしていた。

タクシーの窓越しに見送る狩野さんの目は私の憂鬱をわかっているようで、

穏やかな微笑みが痛いほど嬉しかった。



どうしてわかってくれないの……

タクシーの座席に身を沈めながら、宗の不機嫌な顔を思い出していた。

それまで宗と私だけのプライベートな空間だと思っていた場所に、彼を良く

知る二人の訪問者があった。

初めて訪れた浜尾さんはともかく、真琴さんはホテルの部屋でもオフィスと

同じように振舞っていた。

いつもなら私が宗に寛げる空間と時間を整えていたのに、先ほどはその役を

彼女に譲り、私はといえば人形のように座りかしこまった返事をしていただけ。


窮屈な時間を過ごしたあと、彼女たちの残した気配の漂う部屋でどうして甘い

雰囲気になれるというのだろう。

少しでも私の気持ちを考えればわかるのではないか。

わかろうともしない宗の無神経さが腹立たしく、帰り道の私の顔は苦渋で

歪んでいた。




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