ボレロ - 第二楽章 -

7. strassinando ストラッスィナンド (引きずるように)


夜空を見上げる人の波はどこまでも続き、その背中はどれも同じようなもの

なのに、見渡した先の視界に飛び込んできたのは、忘れようにも忘れられない

彼女の後ろ姿だった。

彼女が一人でこんな場所に来るはずはない。

よせばいいのに連れの顔を確かめると、思ったとおりの人物が寄り添っており、

とたんに胸のあたりに嫌な重さを感じた。

乱暴に顔を背けた私に 「どうしたの?」 と珠貴の怪訝そうな声がかけられ

たが、それには返事をせず彼女の手をギュッと握り締めた。


そっぽを向いた顔を戻しそろりと顔を上げると、肩向こうのその背中が思い

がけず振り向き驚きの目が私を捉えた。

あっ……と小さな声をあげ、口元に添えられた指には真新しい指輪が光って

いた。

この雑踏の中、私の気配を感じたわけではないだろうに、私たちにはまだ引き

合う何かが残っていたのだろうか。

彼女の小さな異変に気がついた連れの男も私を見ると、なんともいえない

表情をしたのち、ふたりから控えめだが丁寧な礼があった。

事情を察した珠貴も、私にならって黙って彼らへ頭を下げてくれた。



三宅理美と婚約を解消したのも夏の盛りだった。

頭の片隅に埋もれた記憶の引き出しが、ギシギシと音を立てて引き出される。


『理由は何だ。私を納得させるだけの理由があるんだろうな』 


日ごろ声を荒げることのない父親の声が、怒りを帯びて部屋中に響いていたが、

私の耳は蝉しぐれへと向けられ、口をつぐむことで自分と理美のプライドを

守ろうとした。

長い婚約期間を解消するには、世間へも家族へもそれなりの理由が必要で

あったが、私も理美も口を閉ざしたままであったため、両家の両親も婚約解消

に同意せざるを得なくなったのだった。


次々と打ち上げられる花火の爆音に混じり、耳の奥に蝉の鳴き声が聞こえた

気がした。

蝉? まさか……

宗と小さく呼びかけられ、過去へと意識を飛ばしていた私は現実へと引き

戻された。

促された先を見ると、こちらへ歩み寄った理美と彼女の夫となった男が、

先ほどより深く頭を下げていた。

もういいよ、終わったことだから……

彼らへ笑みを含んだ礼を返すと、理美の目は瞬く間に赤く色づいた。

言葉にはしなくとも私の真意は伝わったようだった。




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