ボレロ - 第二楽章 -
「わるかったね」
「うぅん」
「せっかくの花火見物にケチがついた」
「そんなことないわ。でも、あなたがそう思うのなら、
これから気分転換をしましょう。
そうだわ、カキ氷……ねぇ、カキ氷を食べましょうよ」
しっとりと夏の着物に身を包んだ珠貴は、それまでの凛とした姿を崩し甘える
ように私の腕をつかんできた。
見回した顔が屋台を見つけたようで 「ほら、あそこ」 と私の腕を引いて
進んでいく。
着物美人に目じりを下げた屋台の親父は、サービスだよと盛大にシロップを
かけてくれたが、いくら甘党といえどもこの色はちょっと……と顔をしかめる
私の口に、珠貴は容赦なく氷を運ぶ。
しぶしぶ口をあけ氷を頬張ると、思ったほどの甘さはなく酸味が残る清涼感が
あった。
「意外と……」
「美味しいでしょう」
「うん」
割烹 『筧』 の大女将の計らいで花火見物としゃれこんで、意地の張り
合いに終止符を打ったばかりだった。
夏の着物で現れた珠貴は、視線が合うとはにかんだ笑みを浮かべ、ほんの
ちょっと肩をあげた。
私との再会を心待ちにしてくれていたのだとその顔は語っていた。
桟敷席とは違い、古い商家の座敷から見る花火はそれだけで贅沢なもの
だった。
思いを重ねる相手と過ごす時間としては極上のもので、このまま花火の余韻を
抱えながら帰ろうかと思っていたといたところ、
「下におりてみましょうよ。屋台も覗いてみたいわ」 と茶目っ気のある顔に、
人ごみの中へと連れ出されたのだった。
誰にも邪魔されない空間で見る花火は格別だが、人にもまれ離れ離れになら
ないようにしっかりと手をつないで仰ぎ見る夜空もいいものだった。
付き合いを重ねればささいな行き違いや誤解も生じるものだ。
こちらから折れるものかと思いながらも、このままではまずいのではないか、
修正不可になる前になんとかしなければと画策してしまうのも事実で、
ちっぽけな意地を捨て歩み寄ることで得られる珠貴との時間は、以前にも
増して濃密なものになっていくのだった。
理美との時間は、いつも静かで代わりばえのしないものだった。
会いたいといえば姿を見せてくれるが、彼女から会おうと言われたことは
なかったと記憶している。
理美を伴って出席したパーティーは何度もあった。
婚約者として申し分のない振る舞いをし、私の横ではなく半歩下がって
寄り添う姿は、半世紀前のガチガチの頭を持つ老人たちには好意的に見られ
たが、半分身を隠すようにうつむく彼女の姿を、近衛の婚約者は言われる
ままに動く人形のようだと陰口をたたく者がいたのも事実だった。
私の横に並ぶことは彼女にとっては苦痛でしかなかったのだと、いまなら胸の
うちを察してやれるのだが、当時の私にはそんな余裕も度量もなかった。
一度だけ彼女から会いたいと言われたことがあった。
それは別れを告げるためのもので、あの日も蝉の声がうるさいほどに響いて
いる昼下がりだった。