ボレロ - 第二楽章 -
気持ちの整理はとっくに済んでいるはずだった。
婚約解消後しばらくは、消化できない思いを抱え苦しい思いに駆られることも
あったが、心は時が癒すといわれるように、苦しさからも徐々に開放されて
きた。
須藤珠貴という女性が私の心に住むようになってからは、三宅理美のことなど
とうに忘れ、自分では決着のついた過去だと思っていた。
それなのに、納得し認めたはずの二人を目にしたことで、ふさがった傷口が
開いたような痛みが胸に走った。
自分にもこんな繊細な部分があったとは、感情というのは計り知れないもの
らしい。
精一杯隠したつもりでいたのに、珠貴には私の痛みが伝わったのか、一人に
なって考える時間が必要であると言われてしまった。
帰宅後、シャワーを浴びる気力もなく服のままベッドに身を投げ出した。
真っ黒な天井を見つめ、いつの間にか寝てしまうのではないかと思われたが
一向に眠気はやってこず、
過去のさまざまな思いが、これでもかこれでもかと押し寄せてくる。
いったん思い出すと、止め処もなくあふれてくる記憶は途切れることは
なかった。
祖父同士が決めた婚約だった。
潤一郎も私と同じように婚約者が決められていた。
どちらも祖父の友人である人の孫が婚約者となり、潤一郎の相手の京極紫子は
幼い頃から活発で、物怖じしない性格から私たちにもすぐに打ち解けた。
幼い頃こそ祖父と一緒にやってきたが、中学生になると一人で我が家を訪問
することも多く、私にも潤一郎にもわけ隔てなく声をかけてきた。
けれど、私の見えないところで潤一郎とより親しく接していたのは明らかで、
決められた婚約ではあったが互いの気持ちを添わせていったものだ。
一方私はというと、婚約者となった三宅理美は祖父同士が友人であることに
変わりはなかったが、事業を通じて交流を深めてきた仲で、両家のつながりは
事業利益をもたらすものとなっていた。
そうだからといって、見合わない相手をあてがわれたわけではなく、歳や
性格を見越して決めたのだと祖父から聞いたことがあった。
理美はどちらかといえばおとなしい性格で、自分から話しかけることは
めったになく、問われれば答えるが、私が声を発しなければいつまでも
黙ったままであることも珍しくなかった。
少しでも二人の距離を近づけたいとの配慮だったのか、理美の祖父は私たちの
ために理由をつけては何度も席を設けた。
誕生日の会には毎年招かれて、用意したプレゼントを渡すと
「ありがとうございます」 とほんの少し口元をほころばせて受け取ってくれ
たが、理美が本当に喜んでいるのかどうか、ついにわからずじまいだった。
というのも、身に着けるプレゼントであっても、私の前で披露してくれた
ことはなかった。
私はそんなことを気にするたちではないので、きっと恥ずかしいのだろう
くらいにしか思わなかった。
潤一郎や紫子のように、早くから心を通わせ親密になる二人もいれば、
われわれのように時間をかけて近づいていく関係だってあるはずだ。
私と理美の結婚は決まっているのだから、いつかは一緒に暮らし時を過ごして
いくことになる。
そう急ぐこともないだろうと、理美との縮まらない距離を自分の納得できる
理由で片付けていた。