ボレロ - 第二楽章 -


脱出してきたといった表現がふさわしい二人の顔は蒼白で、待ち構えていた

リポーターが差し出すマイクを宗の手が押しとどめた。

それなのに、なおも 『中の様子はどうですか。話を聞かせてください』 と

マイクが向けられる。

しつこいリポーターに 『病人の手当てが先です』 と宗の強い声が放たれた。

『かなり吸い込んでいます』 と叫ぶ宗の声に現場の救急隊員が応じたとき、

宗が抱えていた女性が崩れるように倒れこんだ。


『しっかりしろ! 大丈夫か、まこと、真琴、返事をしろ!』 


懸命に声をかけながら、宗の腕が女性の体を抱き上げ運ばれてきた担架に

乗せる。 

何度も大声で呼びかけるが女性の反応はなく、力の抜けた腕が担架から

ダラリとぶら下がっているところをみると、意識を失っているのではないかと

思われた。

女性へ名前の呼びかけを続ける彼は、救急隊員に導かれ救急車へと乗り

込んでいった。

その一部始終が画面に映し出され、私は呆然と見つめるまま動くことさえ

忘れていた。

宗が必死で呼びかけていた女性は、彼の会社の秘書の浜尾真琴さんだった。



「室長、大丈夫ですか」 


「えぇ……」



周囲に悟られぬようにという配慮は蒔絵さんらしく、密接するほどに身を

寄せてから声をかけてくれたのにかろうじて返事をした。 

これからどうしたらいいのか、なにから動くべきなのか、その判断さえでき

ないほど私は狼狽していた。

テレビ画面はまだ現場の状況を伝えている。

運び出される人の数は十数人を超え、救急病院へと搬送されていますと報道の

声は続いていた。


『異臭の原因はいまだ不明ですが、意識を失う人が何人もいたことから、

危険なものであると考えられ……』


リポーターの言葉に私は息を呑んだ。

彼もあの現場にいたのだから少なからず影響を受けているはず。

浜尾さんを助けることに懸命で、我が身の心配を怠っているのではないか。

私の思いは悪いほうへ悪いほうへと向かっていく。

宗にもしものことがあったら……

最悪の事態へと思考がたどり着き、いたたまれず思わず顔を覆っていた。

労わるように背中へ手が添えられた。  



「彼に連絡を取ってみます。何かわかると思いますので」

 

すばやく告げると、蒔絵さんは携帯を片手に小走りに部屋を出て行った。

彼女の言う ”彼” とは、宗の秘書である平岡さんのことで、今の宗の

現状を間違いなく把握しているはず。

蒔絵さんのもたらす情報を待つあいだ、気持ちを立て直しておかなくてはと

自分自身に言い聞かせた。



< 52 / 287 >

この作品をシェア

pagetop