ボレロ - 第二楽章 -
宗に会いたいと思った。
顔を見て、彼に触れて、今日のことを少しだけ話して、それだけでいい。
けれど、今日は無理だろう。
事件現場に居合わせただけでも大変なことなのに、会見の場で発言をしたの
だから、彼を知る多くの人から、いたわりや見舞いが届くはず。
副社長と社員が巻き込まれた事件に、彼の会社も対応に追われていること
くらい安易に予想がつく。
会社に戻り事情を説明して、社員に元気な姿を見せることも必要なら、
なにより心配なさっているご両親を安心させてあげなくては……
私のことなんて、きっと思い出しもしないだろう。
事件後のさまざまな対応に追われるだろうとわかっているから、私は宗への
電話もメールも控えていた。
蒔絵さん経由で平岡さんへ 『会見を見ました。安心しました』 と伝えて
もらったけれど、ここにきて、宗に会いたいとの気持ちを抑えられなくなって
いた。
メールボックスを開ける暇もないだろうと思いながらも、私は宗へメールを
送った。
『あなたの顔を見るまでは、落ち着かなくて……会いたいの』
送信してから後悔が襲う。
わがままな文面を消してしまいたいと、できるわけもないのに悶々とした
思いに取りつかれた。
深いため息をひとつ吐く。
どうにもならない思いがオフィスの空気にただよっていった。
世間で何が起ころうと時は止まることなく動き続ける。
臨時ニュースや特番が組まれるほどの事件や事故が起こり、画面で伝えられる
惨状を目にしながらも、直接わが身に降りかかる事でなければ、それは対岸の
火事と同じこと。
ニュース画面を消したとたん、日常の業務が待ち構えていた。
仕事に追われるうちに彼のことも忘れかけていた。
いえ、本当は忘れることなどできない。
忘れようと努力したといった方がいいかもしれない。
画面で見た宗を思い出すたびに、嫌でも彼女の姿が浮かんでくるのだから、
無理に振り払わなくては仕事に支障をきたす。
それでも、真琴と呼びかける声が何度となく耳に響いてくる。
そのたびに真琴さんへ向けられる私の思いは苦々しさを増していた。
真琴さんはそのまま入院し、治療中であると聞いている。
化粧室付近にしゃがみこんでいた彼女を宗が連れ出したそうだ。
苦しみに喘ぐ姿を目にすれば、誰だって必死になろうというものなのに、
危機的場面で呼びかけた宗の一言にこだわっていた。
私という人間は、こんなにも嫉妬深かったのかと思い知らされる。
仕事を終え、次々と帰宅するスタッフを見送りながら、私はまた暗く陰湿な
思いにかられていた。