ボレロ - 第二楽章 -
彼の携帯に 『いつでもいいから、あなたの声を聞かせて』 とメッセージを
送っていた。
電話があったのは、その日の夜遅く、真夜中と言うより明け方といったほうが
いい時刻だった。
『メッセージにさっき気がついたんだ……メッセージの声を聞いたら、
どうしても君の声が聞きたくなった。遅くなった』
『うぅん、いつでもいいと言ったのは私よ……宗、困ったことになったわね』
『うかつだった。いまさら言っても仕方ないけど、はぁ……』
『大丈夫?』
『あぁ、なんとかね』
記者に発した宗の一言は都合よく切り取られ、一日中ワイドショーの画面を
にぎわせていた。
『明日には週刊誌の見出しにも載るだろうよ』 と、吐き捨てるように言葉を
続け、また深いため息が聞こえてきた。
『どうやって入ったのか、彼女の病室の外まで押しかけてきているそうだ。
まったく芸能記者って人種は』
『真琴さん、回復されたと聞いたけど、もう心配ないの?』
『少しのどの痛みが残っているらしいが、じきに治るそうだ。
倒れたときはどうなるかと思った』
彼女を失うかもしれないと思ったら、体がちぎれそうな思いがしたと、電話の
声が苦しげだった。
芸能リポーターに追いかけられ、言葉尻を都合よく編集して作り上げられた
”大事な人です” の言葉が独り歩きして、至極迷惑しているといったこと
には同情したが、それによって真琴さんも心労が重なっているらしいと
聞かされると、とたんに胃の奥が痛み出した。
彼女の心中を察すると気の毒だとは思う気持ちもある、早く良くなってほしい
とも願っているのに私の心が屈折しているのか……
真琴さんのことなど聞かなければよかった。
宗は、私の胸の痛みなど気づかないだろう。
ほかの女性の身を必死で守ろうとした話を、私がどんな思いで聞いているか
なんて、考えも及ばないはず。
宗の口から ”真琴” の名が出るたびに、顔をしかめ苦々しい思いが
こみ上げ、不安の渦に陥れられるのだった。
あれほど宗の声を聞きたいと思っていたのに、電話を置いたあとの疲労感は
たとえようもないほどだった。
カーテンの隙間から外をのぞくと、ぼんやりとした空が見えた。
夏の朝の眩しさはなく、いつの間に降り出したのか明け方の雨になっていた。
窓を開けるとむっとする熱気と雨の匂いが流れ込んできた。
私の憂鬱を描いたような空模様だった。