ボレロ - 第二楽章 -
宗から 『食事をしよう』 とメールが届いたのは、例の事件から二週間が
たった頃だった。
誰かに見られたら困るでしょうと返信すると 『シャンタン』 なら大丈夫
だからと、会食の日時が返信されてきた。
ワイドショーや週刊誌は、いまだに宗と沢渡医師の身辺を伝え続けている。
身動きの取れない窮屈さも限界なのかもしれない。
会員制のレストランである 『シャンタン』 なら、誰も追いかけてはこられ
ない。
久しぶりに会える嬉しさに、私は 『お食事を楽しみましょう』 と弾んだ
返事を送り返した。
指定された時刻の少し前にホテルについた。
『シャンタン』 は 『榊ホテル東京』 の最上階にある。
会員だけが利用することのできるレストランで、料理やもてなし、すべてに
おいて一流のレストランだ。
いつもなら 『シャンタン』 への専用エレベーターに向かうところだが、
今日はフロントへ歩み寄った。
宗の親友であり、このホテルの副支配人の狩野さんに宗の様子を聞きたいと
思ったからだ。
心得顔の狩野さんが、エレベーターへ私をいざなう。
それまでホテルマンの姿勢を保っていた彼が、扉が閉まると私へ柔らかい
笑みを向けてくれた。
「近衛は相当頭にきてますよ。毎日記者連中に追いかけられていますからね。
今日は、あいつの愚痴を聞かされる覚悟をしておいたほうがいいですよ」
「そのつもりです。覚悟はできていますから」
ふふっと笑いながら返事をすると 「覚悟はできていますか。そりゃすごい」
と声を立てて笑い出した。
本当は覚悟などない、あるのは諦めだけ……
宗に会える嬉しさは本当だった。
けれど、彼から聞かされるのは、狩野さんが言うように愚痴めいたことと
真琴さんの心配だけだろう。
わかっていながら、それでもここに来たのは、私の不安を少しでも和らげて
ほしいから。
エレベーターから望む美しい夜景も、今の私にはただの景色にしか見えな
かった。
『シャンタン』 のフロアに到着すると、オーナーの羽田さんが出迎えて
くれた。
私を一人にさせないように、狩野さんはここまで送ってくれたのだった。
その気持ちがありがたくて礼を伝えると、
「珠貴さんは、近衛の大事な人ですから」
「狩野さん……」
「近衛を頼みます」
親友らしい言葉を残して戻っていった。
ため息がひとつ……それから深呼吸をした。
私の気持ちの落ち着くのを待つように佇む羽田さんに、お願いがあるの
ですが……と切り出すと聞き届けてくださったようで、承知いたしましたと
穏やかな返事があった。