ボレロ - 第二楽章 -


「バルサミコの香りは、今のあなたには刺激が強すぎるようだ。

胃が受け付けないはずです。心痛で思うように食事ができなかったんでしょう」


「食べられなかったって」


「えっ、えぇ……」


「そんなに心配をかけてたのか……」



宗の申し訳なさそうな顔に、そうじゃないの、あなたのせいじゃないのよと

言いたかった。



「珠貴さん、不安だったのよね。

もちろん近衛さんのことも心配だったでしょうけど、 

好きな人がほかの女性と交際しているなんて報道されて、

毎日毎日、得体の知れない噂話を聞かされてきたんですもの。

心細くもなるわ。私だって……」



私の心を代弁したような美那子さんの言葉に、抑えていた気持ちがあふれ、

意に反して零れ落ちる涙は止まらず、泣き顔を見せてしまった恥ずかしさに

顔を覆っていた。

宗の手が私を抱き寄せる。

先ほどより強い力で抱えられ、彼の腕の中で涙を収め、無言で私の落ち着く

のを待っていてくれた三人へ顔を上げた。



「取り乱してすみません。せっかくのお食事を……」


「今夜はお二人でゆっくり話をなさってね」



また会いましょう、と沢渡さんの爽やかな声に、宗の手が差しだされ握手を

かわす。

あの二人同士みたいね、と美那子さんがささやき、私は泣き顔を振り払う

ように微笑を浮かべた。

強がってみても美那子さんには、私の姿が痛々しく見えたことだろう。

宗と沢渡さんの話が続いているのを確かめながら、こんな言葉を残してくれた。



「珠貴さん、もう少しの辛抱よ。

しばらくはマスコミの目も私たちのほうに向くでしょうから、

そちらの騒ぎも落ち着くでしょう。

近衛さんなら大丈夫、珠貴さんをとても大事に思っていらっしゃるもの。

安心して気持ち預けること。

騒ぎの間、お二人は会えなかったとお聞きしたわ……

さびしい思いをされたわね。

今夜は彼のそばにいて、思いのたけを吐き出すの。いいわね。

それから、今夜は帰っちゃだめよ。

獲物を狙うリポーター連中に見つかっちゃうから」



ふふっと、いたずらな笑みを残すと、美那子さんは沢渡さんのそばへと駆け

寄っていった。

これから大変な場面へ向かおうとしているのに、負の表情はどこにもなく、

沢渡さんも美那子さんも、颯爽とした姿でロビーへ向かうエレベーターに

乗り込んでいった。


 


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