ボレロ - 第二楽章 -
夜景を見下ろしながら、思いのたけをぶつけるには何から話せばいいのかと
思案する。
『シャンタン』 を出ると、宗は迷うことなく部屋へと連れて行き
「今夜は泊まれるね」 と決めたような聞き方をした。
えぇ……そのつもり、と頷くと、安心したような表情を見せた。
「そんなに不安だったのか。気がつかなくて……自分のことばかり考えてた」
「あんな事件が起こったんですもの。まずは自分のことを考えて……」
窓際に立つ私の後ろに立っていた宗は、手を腰に回わすと体をぴたりと寄せて
きた。
彼の口は私の耳元に置かれ、話すたびに息の温かさまで伝わってくる。
「君に不安な顔をさせたのは俺のせいだ。目先のことばかりに気を奪われて、
大事なものを見過ごしていた」
「違うの、私のわがままなの。真琴さんはあなたにとって大事な人。
わかっているのよ」
「だからそれは、会社にとってという意味だ。報道された内容とは違う」
「わかってるわ。わかってるけど……もしかしてと思い始めると、
どうしようもない不安に襲われるの。
あなたが真琴さんとすごした時間は、私には到底かなわない。
私が知らないことも彼女はいっぱい知ってるわ。
小さい頃どうだったのか、おうちの中でどんな風にすごしてきたのか、
ご両親とどんな話をしたのか、私にはわからないことを彼女は全部知ってるの」
「あたりまえだ、ずっと近くにいたんだ。知ってて当然だ。
だから、それが何だって言うんだ。比べることじゃない」
「お願い、私の話を聞いて」
宗の高ぶった声が部屋に響く。
私はできるだけ感情を抑えながら、少しずつ心の中の思いを吐き出していった。
「わかってるのよ、比べることじゃないってことくらい。
でもね……自信がもてないの。
あなたの心が、いつか彼女に向かうかもしれない。
もう向かってるのかもしれないと考えると、どうしようもなく不安になるの。
テレビを見ながら思ったわ。他愛のない信憑性のない噂にさえ、
こんなにも心が揺れるんだってこと。
あなたを惹きつけておく自信がないの。私……」
「もういい、わかったから」
唇が耳朶につくほど近づけて、もういいからと宗の声が繰り返す。
顔を見せてと言われ、私は大きく首を振った。
「いや、見せたくない」
「どうして」
「だって、すごく嫌な顔をしているんだもの。
彼女を妬ましいと思ってる顔なの」
「いいよ、顔を上げて」
「いやなの、どうしてもいや」
それまでは懇願するような宗の声だったのに、ふっと噴出したように笑いが
漏れた。
「俺がいま、何を考えてるかわかる?」
「わからないわ」
「他の女に嫉妬してる珠貴の顔はどんなだろうって、
そう思ったら嬉しくてたまらないよ」
「意地悪なことを言うのね」
私は意地になって宗から顔を背けた。
ほら、こっちを向いて、と彼の顔が追いかけてくる。
嫌だといいながら何度も逃げていたが、不自然に曲げた彼の首によって私の
唇はついにつかまった。
追いかける強引さとは裏腹に優しいキスだった。
包み込むように口づけ、ゆるやかに忍び込んだ舌は波の上を漂うように
しなり、甘い余韻を残して引いていく。
いつしか私もその波に同調していた。
優しい唇は私の口に満足すると、あらわにした肌を伝いはじめた。
まるで刻印を押すようにあますところなく唇をおき、逃がすまいと胸に閉じ
込めた。
このまま、宗に何もかもゆだねてもいいのだろうか。
またしても不安が追いかけてきた。
『近衛さんなら大丈夫。
珠貴さんのことを、とても大事に思っていらっしゃるもの』
美那子さんの優しい声が、揺らぎそうになる私の気持ちを後押しする。
もう迷わない……
本当に? と自分に聞いてみる。
迷わない、何があっても……
もう一度、同じ答えにたどり着く。
やがて闇に包まれた部屋で、私はすべてを彼にゆだねていた。