ボレロ - 第二楽章 -
去年からはじめた短歌が楽しい妹は 「観月の会」 の歌詠みに興味を示し、
私と一緒に行くと言い出したのだった。
いまどきの流行に敏感な妹は、学校ぐるみで取り組む短歌に触れるように
なってから変わってきた。
歌の世界に没頭しているときは、話しかけても応じないほど熱中している。
おじいちゃまの血筋を引いたのねと祖母も嬉しそうだったが、孫の変化を
何より喜んでいるのは国文学を専門とする祖父で、毎週のように話を聞きに
通ってくる孫娘のために、学生向けの資料集の編纂 (へんさん) を始めた
ほどだった。
「おばあちゃまはお着物だけど、あなたたちは……
そうね、少しお洒落をしてちょうだいね」
「付き添うだけだもの、お洒落なんて必要ないでしょう」
「この会だけど、別の目的で参加される方も少なくないのよ」
妹とともに母の意味ありげな言葉に振り向くと、楽しそうな母の顔が見えた。
「参加される方はご高齢の方が多いけれど、ご一緒される方がお若いの。
ご自分のお身内の方で、適齢期の方を同伴なさるのよ」
「わぁ、おばあちゃまつきの合コンみたい」
「なんてこと言うんですか」
品性の欠けた表現に母の叱咤があり、妹は肩をすくめたが、妹の例えはかなり
的を得ていると関心した。
けれど、そういった会へ私を送り出そうという母の頭の中には、その場での
出会いを期待しているということではないか。
私と櫻井さんのお話が具体化しようというのに、母は何を考えているのだろう。
もしや、櫻井さん以上の男性を求めているのか……
言葉遣いには注意なさいと懇々と娘へ言い聞かす顔を見ながら、母親の言葉の
真意を探るが、私には皆目わからなかった。
この子ったら、本当にもぉ……と腹を立てながらも、観月の会へ行くことは
認めたようで再び叔母へと電話をかけた。
母親の小言を軽く流した妹は、ふたたびテレビ画面へと顔を戻していた。
画面では若いカップルの告白の場面が流れ、安っぽい愛情表現が繰り返されて
いる。
クラスのお友達の会話についていけないから見ているの、なんて言っていたが、
欠かさず見ているところをみると、妹自身も楽しみにしているらしい。
「好きだよ」 とか 「君だけだ」 などの台詞を軽々しく口にするドラマの
どこが良いのだろうか。
いつまでも続く甘ったるい場面にうんざりしながら、読みかけの雑誌を手に
取った。
「ねぇ、珠貴ちゃん」
「なぁに?」
「アイシテルって言われたこと、ある?」
次の瞬間、私は手にしていた雑誌を丸めると妹の頭をたたいていた。
まったく、なんてことを言い出すのだろう。
先ほどの 「私も行きたい」 につづき、私の心を乱す妹の突拍子もない
発言に、口よりも手が先に動いたのだった。
「痛いじゃない」
「そんなこと聞くことじゃないし、人に言うことでもないの」
「たたかなくてもいいじゃない。あーっ! 言われたことあるんだ」
「ばかばかしい……」
10いくつも年下の妹は、みなの真似をして姉である私を名前で呼ぶ。
その気安さもあるのか、ときどきこうしてとんでもない質問を浴びせてくる。
妹の反撃の手が私を襲う寸前、廊下奥から父の声が聞こえてきて、一瞬にして
リビングは静まり返った。
母はいそいそと父の元へ行き、妹はテレビを消して自室へと向かう。
私は丸めた雑誌を元に戻し、帰宅した父へ、お帰りなさいと神妙に告げた。
それまでの、どこにでもある夜の家族の風景は姿を消えていた。
父の帰宅によってもたらされるのは、須藤という名を背負った家の重みとでも
いえようか。
パーティーができるほどの広さを備えたリビングが、引き継ぐ家そのもの
を象徴しているというもの。
この人をどうやって説得するのだろうか。
宗の手腕を信じてはいるが、不安を拭いさることは出来ない。
彼の腕の中で聞いた言葉だけが、今の私の支えだった。