さよならの魔法
会社だって、そう。
学校も会社も既に始まっていて、世の中はものすごいスピードで動いている最中なのだ。
こんな遅い時間に、お父さんがこの家にいるのを見たことなんてない。
朝早くに家を出ていくお父さんは、私が学校へ行くよりも先に仕事に行く。
朝ご飯を食べる時だって、別々だ。
ここに、この時間に、お父さんがいる。
私の部屋の前にいる。
それは、私にとっては異常事態だ。
顔を上げることも出来ず、声を出すことも出来ない。
顔を上げれば、泣き腫らした目が見られてしまう。
声を出せば、掠れた声が出て、いつもと違うことがバレてしまうだけ。
鍵をかけ忘れていたせいで、お父さんが部屋の中へと入ってくる。
「泣いていたのか………?」
悲しげに顔を歪めるお父さんが、そこにいて。
私は慌てて、枕に埋めていた顔を上げた。
「な、泣いてなんか………ないよ。」
バレない様に、そっと涙を人差し指で拭う。
強く言えないのは、その言葉が偽りだから。
語尾が弱くなってしまうのは、その言葉が嘘でしかないから。
本当は泣いていた。
堪えきれずに泣いていた。
全てが煩わしくて。
何も出来ない自分が情けなくて。
この世の全てに絶望して、泣くことしか出来ない自分が嫌で。
生きていたくないと思った。
この世に存在している意味さえ、分からなくなった。
私って、何なんだろう。
私が生きている意味って、一体、何なんだろう。
こんなつらい思いをしてまで、私が生きている意味なんてあるのだろうか。
苦しいことばかりしかないこの世界に、私がいる意味なんてあるのだろうか。
解決出来ない悩みを抱えて。
どうにもならない葛藤を抱いて。
だけど、それを知られたくない。
悟られたくない。
言ったところで、どうにもならないのだ。
お父さんに言って、何になる?
そんなことをしたって、お父さんを困らせるだけ。
お父さんを悲しませることにしかならない。