さよならの魔法
卒業式の記憶は、正直に言うとあまり残っていない。
極度の緊張で、それどころではなかったのだ。
ただその場にいるだけで、私には勇気が必要なことだったから。
唯一覚えているのは、名前を呼ばれた時のことだ。
「3年1組。」
担任の佐藤先生が、何人かの名前を読み上げていく。
読み上げていくうちに呼ばれた、自分の名前。
「天宮 春奈。」
「………はい。」
小さな声で返事をして、立ち上がる。
私の名前が呼ばれて、更に数人を挟んで呼ばれた彼の名前。
「紺野 有樹。」
「はい!」
透き通った声が、体育館の全体に広がっていく。
波の様に。
延々と続いていく、青い空の様に。
その声が思い出させるのは、この3年間の記憶。
出会ったのは、今よりも少し遅い時期。
桜が舞う日のことだった。
この学校に入学したその日、私は彼を知った。
教室に入ることを躊躇って、ドアの中にさえなかなか足を踏み入れられなかった1年生の私。
ようやく教室に入った私を迎え入れてくれたのは、紺野くんの笑顔。
紺野くんだけだった。
教室に入ってすぐ、私に声をかけてくれたのは。
「おはよー!」
その一言が嬉しかったんだよ。
特別な意味なんてなくても、その言葉に救われたんだ。
私は。
爽やかな笑顔。
誰とでも打ち解けられる、明るさ。
紺野くんは、私が持っていないものを全て持っていた。
私にはないものを、紺野くんは持っていたんだ。
羨ましかったのかもしれない。
憧れていたのかもしれない。
しかし、妬むことはなかった。
ただ素直に、好感を抱いた。
紺野くんという人に。
紺野 有樹という人物に。
近付けなかった。
どうしても、紺野くんの近くに行こうとは思えなかった。
私は、ずっと1人ぼっちで。
コミュニケーションを取ることが苦手で、友達すらいなくて。
そんな私には、紺野くんに近付く権利なんてない。
そう思っていたから。