さよならの魔法
苦しい。
胸が苦しい。
騒ぎ始めた心臓は、音を静めるということを知らない。
ねえ、どうして。
どうして、ここにいるの?
さっきまで、まつしまの中にいたじゃない。
増渕さんの隣に座っていたじゃない。
それなのに、どうして私を追ってきたの?
私なんかのことを追いかけてきてくれたの?
増渕さんのことを置いてまで、どうしてーーー………
酔いなんて、一気に醒めてしまった。
ほろ酔い気分で心地よかった空気が、緊張を帯びたものとなる。
肩に触れたままの、紺野くんの手。
他の人にとっては何ってことはないその行為が、私にとっては毒気となっていて。
アルコールなんかより、この手の方が私をずっと酔わせてくれる。
肩に置かれた手に、クラクラする。
理由なんて、簡単だ。
この手が、紺野くんの手だから。
今でも忘れられない、その人のものだからだ。
「だ、大丈夫………だよ。確かに、ちょっと酔ってるけど。」
そう答えると、紺野くんはフッと優しく笑ってくれた。
「そっか。」
肩に置かれていた手が離れていく。
自然な形で、私の元から離れていく。
ほんのわずかな寂しさを感じながら、目で追う。
真っ黒なダウンを羽織った彼は、そこにいた。
白い息が、夜の闇に消えていく。
田舎の駅前に立つ、2つの人影。
そのうちの1つは、私で。
紺野くんの隣にいるのは、あの頃とは違う。
5年前とは違う人。
増渕さんじゃない。
信じられないけれど、私なんだ。
吐き出す息は、空に浮かぶ雲みたいに漂う。
フワフワと、闇の合間を。
寒そうに手を擦り合わせながら紺野くんが言った一言は、冷たい外気を纏いながら、私の鼓膜を震わせた。
「天宮、少しだけ………、少しだけ俺に時間をくれない?」
それは、初めての誘いの言葉。
そして、きっと最後の誘いの言葉。
最初で最後の、紺野くんからの言葉。