さよならの魔法



「はぁ………、くっ………」


乱れた息が、なかなか元に戻らない。


荒い息に合間に交わる視線。

交わっては逸れ、再び交わって、そしてどちらからともなく逸れていく。



(何で………?)


何で、こうも無反応なのだろう。

大げさに驚いて欲しい訳ではないけれど、こうも固まられてしまうと、こちらも不安になってしまう。


俺が誰なのか、分からないんじゃないかって。

知らない男に呼び止められたから、こういう反応をしているんじゃないかって。



夜更けの、こんな時間だ。

不審者だと思われても、おかしくない。


その可能性を否定出来ないところが、自分でも悲しいけれど。



怪しまれているのか。

それとも、具合でも悪いのか。


体の調子が悪いのなら、中途半端な時間に帰ったのも頷ける。



(そういや、結構飲んでた気がするな………。)


松島が調子に乗って、どんどん天宮に酒を勧めていたみたいだったし。


近くにいた訳ではないから、天宮がどれくらいのアルコールを摂っていたかまでは分からない。

天宮が気分が悪くなるほど飲んでいても、何ら変なことではないということだ。


不安を感じた俺は、天宮にこう聞いた。



「天宮、大丈夫?もしかして………気分悪い?」


「………。」


そう聞いてみたのはいいけれど、目の前の天宮が答えてくれる様子はない。



居酒屋で見かけた時よりも、ずっと近い位置。

視界の端ではなく、すぐに触れられるほどの距離にいる彼女。


微かに潤んだ瞳。

火照った頬。


トクントクンと、心音が速くなる。

1秒毎に、その速さを増していく。



マスカラに彩られた、長い睫毛。

睫毛の奥から覗く、大きな目。

ブラウンの長い髪が、月の光に照らされて鈍く光る。



5年前とは、全く違う。


あの頃の天宮は、まだあどけなさが残っていた。

俺の覚えている限りでは、どこか幼さがその面影の中にあったはずだ。





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