さよならの魔法
ただのスケッチでしかなかったモノクロの絵が、奥行きのある絵になる。
浮かび上がる様な、そんな景色。
そこにあるかの様な、リアルな景色。
淡い色合いをベースにして、だんだんと濃い色を滲ませていく。
絵を描いている時間が、1番好きだ。
本を読むことも好きだけど、昔から絵を描くのが得意だった。
絵を描いている時だけは、何も考えなくてもいい。
無心でいられる。
余計な音も、余計な声も、耳に入ってこない。
お母さんのヒステリックな声も、聞こえない。
周りの雑音さえ、聞こえてこない。
孤独な環境も、虚しい現実も忘れていられる。
だから、絵を描いている瞬間が好きなのだ。
自分の思いを言葉にして、上手く感情を出せない私。
そんな私が出来る、唯一の自己表現の方法だから。
瞼の裏に映る景色を、そのまま白い紙の上へと再現していく。
青い空。
空に浮かぶ、白い雲。
そして、木々に宿る緑。
モノクロの絵に、命を吹き込んでいく。
夢中に絵に向かっている、その時だった。
ビシャッ。
耳元で聞こえた水音に、私の体が反射的に動く。
水音が聞こえた方向に視線を向ければ、そこに見えたのは夏物のセーラー服の真っ白な色。
スカーフが揺れる。
夏物の制服専用である紺色のスカーフが、風もないのにふわりと揺れる。
目が合う。
その瞬間に、体が固まってしまったかの様に動かなくなる。
動かないんじゃない。
動けないんだ。
この目に囚われれば、動けない。
鋭い視線が、私を貫く。
強い光を宿した瞳が真っ直ぐ見つめるのは、私の顔。
磯崎さんだ。
私の苦手な人。
私が嫌いな人。
お母さんと同じくらい、いや、それ以上に私を震え上がらせる人。