記憶喪失な彼女と、僕
記憶喪失な彼女と、僕
僕はひたすら走った。もうこのまま息が切れてしまうんじゃないかというぐらい、本気で、全速力で走った。自動ドアに突っ込む勢いで、病院に駆け込み108号室を目指す。回りの人達が不審そうに僕を見つめていたが、そんなの気にもならなかった。
ガラリとドアを開けると、中のベッドで上半身だけを起こしてこちらに顔を向けた少女が一人。彼女の額や腕には痛々しい包帯が巻かれている。不思議そうにこちらを見つめる彼女、僕の一つ上の先輩に当たる、坂崎絵梨に僕は近づいた。「先輩・・・」
先輩は、ぽけっとコチラを見ている。僕は不思議に思い、「先輩?」と声を掛けた。
「あの・・・どちら様ですか?」
・・・は?先輩・・・?警戒するような目で僕を見上げ、首を傾げる先輩を見て、僕の頭は真っ白になった。そういえば先輩は、"頭を強く打った"らしい。もしかして、いや、そうであってほしくないけれど・・・。
「記憶、喪失」
「あ。もしかして私の知り合いでしたか?すみません、私、何も覚えてなくて・・・」
申し訳なさそうに眉を下げて笑う先輩。僕はその場にへたり込んでしまった。12月5日、先輩の中から、僕との思い出はすべて消えていた。
「あー!隆史君遅ーい!」
「ゴメン先輩、遅れた」
あの日から2ヶ月、2月5日。先輩はまだ入院生活を送っている。どうやら打ち所が悪かったらしく、治療に長い期間が掛かるそうだ。そして、先輩の記憶は―――
一向に戻る気配はない。それでも良いと僕は思う。先輩と僕は、また新しい思い出を作って行けば良いのだから。
「今日は何持って来てくれたのー?」
椅子に座る僕の手元を、身を乗り出して見てくる先輩に、僕は公園で摘んできたたんぽぽを差し出した。
「今日はたんぽぽ」
可愛いたんぽぽっ、と嬉しそうに笑う先輩を見て、僕も思わず頬が緩む。こうやって外にある華や、空の写真や、珍しいスイーツなどを先輩に持って来るのは僕の日課だった。夕焼けの空が綺麗なら、夕焼けの空の写真を撮って先輩に持っていく。人気のスイーツを見つけたら、並んで買って行って、一緒に食べる。「先輩」と「後輩」という以前と変わらない関係。ただし、一つ、たった一つだけ変わった事があった。それは、僕と先輩が、「彼氏」と「彼女」ではないということ。記憶がなくなった先輩に、僕への好意はない。「付き合っていた」という事実も伝えるつもりはなかった。今の先輩に言ったら混乱してしまうかもしれないし、何より・・・、
「僕との思い出を先輩自身に思い出して欲しい」という微かな僕の我が儘なのである。
「隆史君、明日は空の写真が見たいなあ。何か綺麗な空、写真に撮ってきてよ」
「わかった。一番綺麗な空撮って来る」
「約束だよー?はい、指切り」
僕の目の前に差し出された小さな小指。僕は先輩の小さな小指に、自分の小指を絡めた。
2月6日、先輩が風邪を引いた。
うつったら悪いから、と先輩のお母さんに止められて面会が出来なかった。別に僕は構わないのに。でも、先輩のお母さんの言うことを聞かない訳にもいかず、僕は大人しく家路に着いた。帰り道、空を見上げればピンクや紫、青などがグラデーションになった綺麗な夕空が広がっていた。その空を先輩に見せたくて、僕は携帯を構えてその空を写真に収めた。
2月9日、三日ぶりに先輩の病室に顔を出した。個室の扉を開けると、先輩が嬉しそうに僕に笑いかけてくれた。
「この間はごめんね。私が風邪引いちゃったせいで・・・せっかく隆史君、来てくれたのにね」
悲しそうに言う先輩のベッドの横に椅子を置いて、そこに静かに腰掛けた。
「良いんだ。先輩が元気なら」「隆史君、」「・・・うん、わかってる。わかってるよ先輩」
これから先輩が言おうとしていることは、もうわかった。予想していたからこそ、怖いんだ。
「私、もう生きられないの。いつ死ぬか、わかんないの」
言うな、わかってたんだ。最初からわかってた。頭を強く打ったと同時に先輩は、クモ膜下出血を発症していた。大分危ない状態だったから、最初から先輩の命は危ないと言われていた。
「でも、でもね・・・、」
先輩が涙を零しながら僕の服の袖をぎゅっと掴んだ。先輩・・・、もう何も言わなくていいよ。泣くぐらいなら、何も言わなくていい。
「いつ死ぬかわかんないのに・・・隆史君が好きなの。しかも、ずっと前から好きだったみたいなの・・・きっと、記憶を無くす前から」
知ってる。
「僕も、好きだよ絵梨。すごく、すごく、もう狂ってしまいそうなほどに・・・」先輩・・・、好きだ、好きだよ。ベッドの上の先輩を僕は力強く抱きしめた。先輩の弱々しく僕の背中に回す手を、愛おしく感じながら。
2月11日、先輩はもうこの世にはいない。先輩、先輩は今天国で楽しくやってる?僕を見てくれてる?天国で浮気すんなよ。僕はいつまでも先輩が好きだよ。きっといつか別の人を好きになっても、その人と結婚しても、先輩は僕の中で一番大きな存在だ。また来世であったら、変わらずに先輩を僕に惚れさせてみせるよ。先輩も、変わらずに僕を惚れさせてよね。
生まれ変わっても、必ず。
約束だよ、と
いつかの先輩の様に、
空に小指を差し出した。
ガラリとドアを開けると、中のベッドで上半身だけを起こしてこちらに顔を向けた少女が一人。彼女の額や腕には痛々しい包帯が巻かれている。不思議そうにこちらを見つめる彼女、僕の一つ上の先輩に当たる、坂崎絵梨に僕は近づいた。「先輩・・・」
先輩は、ぽけっとコチラを見ている。僕は不思議に思い、「先輩?」と声を掛けた。
「あの・・・どちら様ですか?」
・・・は?先輩・・・?警戒するような目で僕を見上げ、首を傾げる先輩を見て、僕の頭は真っ白になった。そういえば先輩は、"頭を強く打った"らしい。もしかして、いや、そうであってほしくないけれど・・・。
「記憶、喪失」
「あ。もしかして私の知り合いでしたか?すみません、私、何も覚えてなくて・・・」
申し訳なさそうに眉を下げて笑う先輩。僕はその場にへたり込んでしまった。12月5日、先輩の中から、僕との思い出はすべて消えていた。
「あー!隆史君遅ーい!」
「ゴメン先輩、遅れた」
あの日から2ヶ月、2月5日。先輩はまだ入院生活を送っている。どうやら打ち所が悪かったらしく、治療に長い期間が掛かるそうだ。そして、先輩の記憶は―――
一向に戻る気配はない。それでも良いと僕は思う。先輩と僕は、また新しい思い出を作って行けば良いのだから。
「今日は何持って来てくれたのー?」
椅子に座る僕の手元を、身を乗り出して見てくる先輩に、僕は公園で摘んできたたんぽぽを差し出した。
「今日はたんぽぽ」
可愛いたんぽぽっ、と嬉しそうに笑う先輩を見て、僕も思わず頬が緩む。こうやって外にある華や、空の写真や、珍しいスイーツなどを先輩に持って来るのは僕の日課だった。夕焼けの空が綺麗なら、夕焼けの空の写真を撮って先輩に持っていく。人気のスイーツを見つけたら、並んで買って行って、一緒に食べる。「先輩」と「後輩」という以前と変わらない関係。ただし、一つ、たった一つだけ変わった事があった。それは、僕と先輩が、「彼氏」と「彼女」ではないということ。記憶がなくなった先輩に、僕への好意はない。「付き合っていた」という事実も伝えるつもりはなかった。今の先輩に言ったら混乱してしまうかもしれないし、何より・・・、
「僕との思い出を先輩自身に思い出して欲しい」という微かな僕の我が儘なのである。
「隆史君、明日は空の写真が見たいなあ。何か綺麗な空、写真に撮ってきてよ」
「わかった。一番綺麗な空撮って来る」
「約束だよー?はい、指切り」
僕の目の前に差し出された小さな小指。僕は先輩の小さな小指に、自分の小指を絡めた。
2月6日、先輩が風邪を引いた。
うつったら悪いから、と先輩のお母さんに止められて面会が出来なかった。別に僕は構わないのに。でも、先輩のお母さんの言うことを聞かない訳にもいかず、僕は大人しく家路に着いた。帰り道、空を見上げればピンクや紫、青などがグラデーションになった綺麗な夕空が広がっていた。その空を先輩に見せたくて、僕は携帯を構えてその空を写真に収めた。
2月9日、三日ぶりに先輩の病室に顔を出した。個室の扉を開けると、先輩が嬉しそうに僕に笑いかけてくれた。
「この間はごめんね。私が風邪引いちゃったせいで・・・せっかく隆史君、来てくれたのにね」
悲しそうに言う先輩のベッドの横に椅子を置いて、そこに静かに腰掛けた。
「良いんだ。先輩が元気なら」「隆史君、」「・・・うん、わかってる。わかってるよ先輩」
これから先輩が言おうとしていることは、もうわかった。予想していたからこそ、怖いんだ。
「私、もう生きられないの。いつ死ぬか、わかんないの」
言うな、わかってたんだ。最初からわかってた。頭を強く打ったと同時に先輩は、クモ膜下出血を発症していた。大分危ない状態だったから、最初から先輩の命は危ないと言われていた。
「でも、でもね・・・、」
先輩が涙を零しながら僕の服の袖をぎゅっと掴んだ。先輩・・・、もう何も言わなくていいよ。泣くぐらいなら、何も言わなくていい。
「いつ死ぬかわかんないのに・・・隆史君が好きなの。しかも、ずっと前から好きだったみたいなの・・・きっと、記憶を無くす前から」
知ってる。
「僕も、好きだよ絵梨。すごく、すごく、もう狂ってしまいそうなほどに・・・」先輩・・・、好きだ、好きだよ。ベッドの上の先輩を僕は力強く抱きしめた。先輩の弱々しく僕の背中に回す手を、愛おしく感じながら。
2月11日、先輩はもうこの世にはいない。先輩、先輩は今天国で楽しくやってる?僕を見てくれてる?天国で浮気すんなよ。僕はいつまでも先輩が好きだよ。きっといつか別の人を好きになっても、その人と結婚しても、先輩は僕の中で一番大きな存在だ。また来世であったら、変わらずに先輩を僕に惚れさせてみせるよ。先輩も、変わらずに僕を惚れさせてよね。
生まれ変わっても、必ず。
約束だよ、と
いつかの先輩の様に、
空に小指を差し出した。