偽りの婚約者
そのまま、紗季さんのアパートを飛び出して来てしまった。
このまま家に帰りたくなくてふらふらと歩いている内に……時々、東條さんと行っているあのBARを思い出した。
あのBARは雰囲気が良くて、わりと居心地がいいんだよね。
行ってみよう……。
扉を開けて中に入るといつもの場所が空いていた。
いつもお酒を作ってくれるバーテンさんが笑顔で迎えてくれて。
「いつもは東條さんと一緒なのに一人で来るなんて、珍しいですね」
と不思議そうに訪ねてきた。
今までここに来る時は、いつも東條さんと一緒だったから……。
「たまには一人もいいかなって……あっ、いつものカシスオレンジをお願いします」
バーテンさんは、納得したのかもう東條さんの名前はいっさい出さなかった。
「はい、わかりました」
私の前に、カクテルの入ったグラスが置かれてグラスに口を付けた。
初めてここに来た日に東條さんが勝手に注文したカクテルだったけど、これは凄く飲みやすいんだよね。
すっかりこのカクテルが気に入ってしまった。
飲んでいるうちに気持ちもだいぶ落ち着いて、考える余裕が出て来た頃。
いつも思っていた疑問が頭の中をよぎった。
彼の復讐の為の私の役割って何なんだろうって……。
私が何故、偽りの婚約者になる必要があったのか?
そんなことを考え始めたら、一層分からなくなってきてしまった。