おとぎの国の洋菓子店
優しさのゼリー
「メイ、ちょっと休みなよ」
ため息混じりのソールの言葉に、「へっ」とびっくりするメイ。
「これからお客さんも減る時間だから、ちゃんとごはん食べて来て」
もう夕飯時を過ぎている。だが、メイは昼食もろくに取っていなかった。
「ああ、忘れてた」
にこっと笑うメイに、ソールは呆れながらも、そういうところがまた可愛いのだと思ったりもする。
「ソールはお腹空いてない?あたし、何か作るよ」
「…ん、今日は、いいよ」
メイの手料理、食べたいけど。ソールはなんとかその気持ちを飲み込んだ。今日は、無理させない方がいいと思うから。
暑い日が続き、メイが強引にルースに作らせたシャーベットが、予想以上に好評を博している。おかげでメイはてんてこ舞いで、それを売りさばく毎日だ。
メイ本人がそれを楽しんでいることは間違いない。
だけど、それに体が追い付いていないのだと、午後からしか店に来ないソールでも気が付いた。
元より、不平や不満を言わないどころか、感じにくい質らしいメイは、こうして忙しく働くことが好きなのだ。その気持ちに引っ張られて、無理しがちなことは、先日の発熱で周知の事実である。
「んー?なんか、食べる気にならないな…」
メイは、残り野菜を放り込んで煮込んだスープを前に、首をかしげた。いつもなら、おかわりしたいくらい好きな食べ物なのに。
「シャーベット売るのが楽しすぎたかな。むふふ」
とりあえずコップの水を飲み干して、再びスープ皿に視線を落としたものの、メイは諦めてそれを冷蔵庫に入れに行くことにした。
「またそのうちお腹も空くよね」
半ば自分に言い聞かせるような独り言ではあった。
冷蔵庫の中の一番上の段は、ルース専用にしている。食事より飲酒を優先しがちなルースが、きちんと食事をとっているかどうかを確認するために、メイがそこに食事を入れることになっている。
だから、それより下の段は、逆に言うならば、メイしか使わない。
「……なんだっけ、これ」
その場所に、見慣れないカップを1つだけ見つけて、メイは手に取った。
「ゼリー?」
店で売る商品は、この小さな冷蔵庫には入れないはずだ。
しばらくの間、メイはそのカップを見下ろして考えていたが、その冷たく冷えた磁器の手触りに、少し食欲を覚えた。
ルースの段になかったのだから、たぶんあたしに、失敗作でも食べろってことなのかな、と解釈をして、メイは席に着くとスプーンですくって見た。
「きれい」
透明度の高いゼリーは、わずかに黄味を帯びてはいるが、日差しを受けて宝石のようにきらりと光った。
おそるおそる口に含んだメイは、その冷たさが、口の中の熱を穏やかにさらっていくのを感じた。
「おいしい…」
一口一口が、体中の熱をゆっくりと吸い取ってくれるような気がした。
すっかり平らげた後に、ああ、あたし、暑かったんだ、と、ようやくメイは気が付いた。
「馬鹿、夏バテしてんなよ」
低い声が面倒臭そうに響いて、メイが振り返ると、相変わらず覇気のない菓子職人が裏口から帰って来たところだった。
「え、誰が?お客さん夏バテしてたの?」
またルースが女性客と姿を消していたことは、メイだって知っているのだ。
「馬鹿はお前だ」
「ちょ、顔見るなり失礼な」
「だーかーら、夏バテしてんのはお前だ」
「ええっ!?あたし夏バテしてたの!?」
大げさに驚くメイに、ルースは盛大なため息をついてだるそうに椅子に座った。
「このごろちっとも飯食えねえだろーが。いつも呆れるほど食うくせに」
「後半の言い草は要らなかった!」
知らん顔で、メイが片付けそこなっていたスープ皿を引き寄せて、スプーンも使わずにごくごく飲み始めるルース。
「自分の体調の変化くらい気が付けよ」
「ルースに言われたくな…!」
言い返そうとして、メイははっとした。
「お酒、減らしてる……?」
外で女の人に会った後には、たいていアルコールを大量摂取していたルースが、帰ってすぐに口にしたのはスープだった。
「ガキがうるせえんだよ、毎日毎日」
気付かれてバツが悪そうに、いっそう大げさに顔を逸らすルースが吐いた台詞は、メイにも肯定にしか聞こえなかった。
意外と。ルースって。
「ゼリーも、あたしに…?」
「失敗作だ。色が濁った」
異常なくらい素早く否定したルースは、表情も読み取れないくらい真横を向いてしまう。
ただでさえ鬱陶しい髪の毛に阻まれているのに、メイは「ルースって意外と優しい」と感じてしまう。
それは、マーリンを深く傷つけて追い返したときから、ルースと一定の距離を置いていたメイの堅い心をやすやすと溶かした。
失敗作なんかじゃない。
だって、ゼリーは、宝石みたいに輝いていた。濁りどころか曇り一つなかった。
「嘘だ!」と言い返そうと、口を開いたメイは、ふと、見つめる先のルースがいつもと違って見えることに気が付いた。
不器用で、滅茶苦茶で、いい加減なのに、やたらと愛しい。
「あたし、ルースのことが好きみたい」
おかげで言葉はあっさりと、すり替わってしまったのだった。
「……は?」
ルースの声に、なぜかメイの声まで重なった。
「いや、ええと、あれ?あたし、今なんて言った?えっ、あれっ!?」
「……マジ、頭わいてんな、お前」
確かに沸いてるかも、ふつふつと。メイはそう思いながらも、なんとか自分の台詞を思い返す。
そして、残念なことに符合するピースを、記憶や感情のあちこちで見つけることになる。
「だって、なんでかわからないけど、好きなんだもん!」
「んあ?」
「自分でも理解できないけど、好きみたい!どうしてルースなのか、本当に疑問だけど!」
「…てめー」
心の中の気持ちを拾い上げると同時に言葉が口をついて出るメイ。彼女の言葉は愛の告白というよりはむしろ、ルースの人格否定に近い。
「こんなにだらしないのに!やる気ないのに!アルコール依存症なのに!」
「…おい、いい加減に」
「好き」
呟くと、メイはもうその感情から、目を逸らすことができなくなった。
ふと、長い髪の間から、ちらりとルースが視線を寄越す。
「失敗作のゼリーひとつで惚れるなんて安い奴いるかよ。もっとおもしろい冗談言え」
笑みを含んだ声でそう言い残して、彼はあっさりと部屋に戻ったのだった。
「……違うのに」
ゼリーが美味しかったからじゃない。
冗談を言ったわけじゃない。
メイがからからに乾いた喉から、ようやくそう言葉を絞り出した時には、ずいぶんと時間が経過していた。
理由なんてわからない。
だけど、好きになったことだけは事実。
それなのに、伝わらなかった。
その結果だけは、メイにも理解ができた。
胸を締め上げるような痛みを覚え、これを「切ない」と言うのだろうかと、ぼんやり考えた。
「奥手」とマーリンに評されるメイの元へ、「恋」と「切なさ」が、突然続けざまにやってきて、すっかり彼女の心をかき乱したのだった。
じわりと浮かんだ涙で視界がゆがみ、ぷつりと目から水滴が落ちそうになったその時、ふと店からソールの声が聞こえてきた。
次々とやってくる客に、商品を売っている状態だということに、ようやく気がついて、メイは落ち着きを取り戻した。
ぱちぱちと瞬きを繰り返して涙を散らすと、「よし」と頬をぱちぱち叩き、とりあえず今の出来事を頭から追い出したのだった。
ため息混じりのソールの言葉に、「へっ」とびっくりするメイ。
「これからお客さんも減る時間だから、ちゃんとごはん食べて来て」
もう夕飯時を過ぎている。だが、メイは昼食もろくに取っていなかった。
「ああ、忘れてた」
にこっと笑うメイに、ソールは呆れながらも、そういうところがまた可愛いのだと思ったりもする。
「ソールはお腹空いてない?あたし、何か作るよ」
「…ん、今日は、いいよ」
メイの手料理、食べたいけど。ソールはなんとかその気持ちを飲み込んだ。今日は、無理させない方がいいと思うから。
暑い日が続き、メイが強引にルースに作らせたシャーベットが、予想以上に好評を博している。おかげでメイはてんてこ舞いで、それを売りさばく毎日だ。
メイ本人がそれを楽しんでいることは間違いない。
だけど、それに体が追い付いていないのだと、午後からしか店に来ないソールでも気が付いた。
元より、不平や不満を言わないどころか、感じにくい質らしいメイは、こうして忙しく働くことが好きなのだ。その気持ちに引っ張られて、無理しがちなことは、先日の発熱で周知の事実である。
「んー?なんか、食べる気にならないな…」
メイは、残り野菜を放り込んで煮込んだスープを前に、首をかしげた。いつもなら、おかわりしたいくらい好きな食べ物なのに。
「シャーベット売るのが楽しすぎたかな。むふふ」
とりあえずコップの水を飲み干して、再びスープ皿に視線を落としたものの、メイは諦めてそれを冷蔵庫に入れに行くことにした。
「またそのうちお腹も空くよね」
半ば自分に言い聞かせるような独り言ではあった。
冷蔵庫の中の一番上の段は、ルース専用にしている。食事より飲酒を優先しがちなルースが、きちんと食事をとっているかどうかを確認するために、メイがそこに食事を入れることになっている。
だから、それより下の段は、逆に言うならば、メイしか使わない。
「……なんだっけ、これ」
その場所に、見慣れないカップを1つだけ見つけて、メイは手に取った。
「ゼリー?」
店で売る商品は、この小さな冷蔵庫には入れないはずだ。
しばらくの間、メイはそのカップを見下ろして考えていたが、その冷たく冷えた磁器の手触りに、少し食欲を覚えた。
ルースの段になかったのだから、たぶんあたしに、失敗作でも食べろってことなのかな、と解釈をして、メイは席に着くとスプーンですくって見た。
「きれい」
透明度の高いゼリーは、わずかに黄味を帯びてはいるが、日差しを受けて宝石のようにきらりと光った。
おそるおそる口に含んだメイは、その冷たさが、口の中の熱を穏やかにさらっていくのを感じた。
「おいしい…」
一口一口が、体中の熱をゆっくりと吸い取ってくれるような気がした。
すっかり平らげた後に、ああ、あたし、暑かったんだ、と、ようやくメイは気が付いた。
「馬鹿、夏バテしてんなよ」
低い声が面倒臭そうに響いて、メイが振り返ると、相変わらず覇気のない菓子職人が裏口から帰って来たところだった。
「え、誰が?お客さん夏バテしてたの?」
またルースが女性客と姿を消していたことは、メイだって知っているのだ。
「馬鹿はお前だ」
「ちょ、顔見るなり失礼な」
「だーかーら、夏バテしてんのはお前だ」
「ええっ!?あたし夏バテしてたの!?」
大げさに驚くメイに、ルースは盛大なため息をついてだるそうに椅子に座った。
「このごろちっとも飯食えねえだろーが。いつも呆れるほど食うくせに」
「後半の言い草は要らなかった!」
知らん顔で、メイが片付けそこなっていたスープ皿を引き寄せて、スプーンも使わずにごくごく飲み始めるルース。
「自分の体調の変化くらい気が付けよ」
「ルースに言われたくな…!」
言い返そうとして、メイははっとした。
「お酒、減らしてる……?」
外で女の人に会った後には、たいていアルコールを大量摂取していたルースが、帰ってすぐに口にしたのはスープだった。
「ガキがうるせえんだよ、毎日毎日」
気付かれてバツが悪そうに、いっそう大げさに顔を逸らすルースが吐いた台詞は、メイにも肯定にしか聞こえなかった。
意外と。ルースって。
「ゼリーも、あたしに…?」
「失敗作だ。色が濁った」
異常なくらい素早く否定したルースは、表情も読み取れないくらい真横を向いてしまう。
ただでさえ鬱陶しい髪の毛に阻まれているのに、メイは「ルースって意外と優しい」と感じてしまう。
それは、マーリンを深く傷つけて追い返したときから、ルースと一定の距離を置いていたメイの堅い心をやすやすと溶かした。
失敗作なんかじゃない。
だって、ゼリーは、宝石みたいに輝いていた。濁りどころか曇り一つなかった。
「嘘だ!」と言い返そうと、口を開いたメイは、ふと、見つめる先のルースがいつもと違って見えることに気が付いた。
不器用で、滅茶苦茶で、いい加減なのに、やたらと愛しい。
「あたし、ルースのことが好きみたい」
おかげで言葉はあっさりと、すり替わってしまったのだった。
「……は?」
ルースの声に、なぜかメイの声まで重なった。
「いや、ええと、あれ?あたし、今なんて言った?えっ、あれっ!?」
「……マジ、頭わいてんな、お前」
確かに沸いてるかも、ふつふつと。メイはそう思いながらも、なんとか自分の台詞を思い返す。
そして、残念なことに符合するピースを、記憶や感情のあちこちで見つけることになる。
「だって、なんでかわからないけど、好きなんだもん!」
「んあ?」
「自分でも理解できないけど、好きみたい!どうしてルースなのか、本当に疑問だけど!」
「…てめー」
心の中の気持ちを拾い上げると同時に言葉が口をついて出るメイ。彼女の言葉は愛の告白というよりはむしろ、ルースの人格否定に近い。
「こんなにだらしないのに!やる気ないのに!アルコール依存症なのに!」
「…おい、いい加減に」
「好き」
呟くと、メイはもうその感情から、目を逸らすことができなくなった。
ふと、長い髪の間から、ちらりとルースが視線を寄越す。
「失敗作のゼリーひとつで惚れるなんて安い奴いるかよ。もっとおもしろい冗談言え」
笑みを含んだ声でそう言い残して、彼はあっさりと部屋に戻ったのだった。
「……違うのに」
ゼリーが美味しかったからじゃない。
冗談を言ったわけじゃない。
メイがからからに乾いた喉から、ようやくそう言葉を絞り出した時には、ずいぶんと時間が経過していた。
理由なんてわからない。
だけど、好きになったことだけは事実。
それなのに、伝わらなかった。
その結果だけは、メイにも理解ができた。
胸を締め上げるような痛みを覚え、これを「切ない」と言うのだろうかと、ぼんやり考えた。
「奥手」とマーリンに評されるメイの元へ、「恋」と「切なさ」が、突然続けざまにやってきて、すっかり彼女の心をかき乱したのだった。
じわりと浮かんだ涙で視界がゆがみ、ぷつりと目から水滴が落ちそうになったその時、ふと店からソールの声が聞こえてきた。
次々とやってくる客に、商品を売っている状態だということに、ようやく気がついて、メイは落ち着きを取り戻した。
ぱちぱちと瞬きを繰り返して涙を散らすと、「よし」と頬をぱちぱち叩き、とりあえず今の出来事を頭から追い出したのだった。