アジアの海〜the first kiss〜
潮騒
ここは…夢の中…?
微かな疑問が一瞬頭に浮かんだ。
あまりに居心地が良くて、現実だと信じたかったけど…
「そんな訳は無い。」
日常の冷静な思考が蘇った。
「私との今日の出来事を、何かの暗号でもいいんでブログに書いてください。」
そう彼に告げていた。
そこで目が覚めた。
「夢かぁ…随分はっきりした夢だったなぁ。ん?」
ふと気がつくと、口の中に微かな潮の香りが残っている。
そんなはずは無い。夢の中での出来事なのだ。
でも、素敵な夢だった。恋の心地良い酔いに包まれていた。
彼は直接話した事も無い。でも、ずっと片想いしているヒト…
どこか海のそばの平屋建ての古い民家に、大勢の人が集まり、呑んだり食べたり…何かの祝いの席だったようだ。
窓を開け放した解放感のある家の中を潮の香りが漂い、心地良い風が吹き込んでいた。
外は明るい日差しが眩しいくらいだが、不思議と日よけのようなものがあるのか、家の中は程よい明るさで、なおかつ涼しい。
私と彼はそんな宴会の席で人目も気にせず、肩を寄せ合い、額を寄せ合い、じゃれたり、からかったり、時には軽いキスを交わしていた。
はたから見たら、深く愛し合っている恋人同士にしか見えないだろう。
正直、とても嬉しかったし、幸せだった。
だって彼は片想いをしている相手だから。
でも、同時に冷静な思考は、「そんなはずは無い。」と訴えていた。
それで、夢か現実か自分に言い聞かせる為に、彼にお願いごとをした。現実の世界でその約束が本当に守られていたら、この二人の繋がりを信じる事が出来るから…
目が覚めて、早速彼のブログを確認してみた。
結果は予想通り。夢の中の約束は守られていなかった。
「そりゃそうだよね…」
ほんの僅かな期待は、もろくも崩れ去った。
でも、何故か口の中に微かな潮の香りが残っている。
落胆しながらも、まだ夢の中の出来事を引きずっているのか。
気のせいだろう…
そんな夢をみて、彼氏ができたかのように、どこかフワフワと幸せな気分で日常を過ごすことが出来た。
日常の風景がこんなにもキラキラしていて、私自身が映画の主人公であり、女優かのように華やげるなんて思いもしなかった。
今までキライだった自分も、丸ごと愛おしいと思えるし、自信に満ち溢れていた。
孤独を感じる事も無くなった。
ううん。一人でいる時間が大切に思えた。
自然と、より魅力的な女の子になれるように努力するようになった。
ファッション雑誌を隅から隅まで真剣に眺めたり…
鏡に向かい、ひたすら魅力的な表情を研究したり…
するべき事は山のようにあるとかんじられた。
愛されるって、まるで天国にいるみたいだな…
心からそう思った。
現実には彼との進展も無いまま、半年という時間だけが過ぎていった。
いつものように、彼のブログをみていると、こんな事が書かれていた。
「好きな人ができた。告白をしようと思う。神様お願い!彼女とうまくいきますようにっ!」
えっ?
…しばらく時が止まった。
書かれている言葉が、なかなか頭の中に入ってこなかった。
何度も何度も、その言葉をなぞるように繰り返し読んだ。
心がモヤモヤした。
ショックだった。
「いつの間にそんな女性ができたのだろう…」
正直、女っ気の無い彼に安心していた。
でも、あれだけかっこいい彼だ。
女性がほっとくわけが無い。
輝き出していた世界が、一瞬にしてモノトーンの世界に変わった。
また、うつむきながら歩んでいた自分に戻ってしまった。
次の日。
「行ってきます。」
たとえ世界がモノトーンでも、私のやるべき事は変わらない。
心に重りを抱えたまま、いつものように家を出た。
歩く足が重たい。
でも、そんな事は言ってられない。
「気合い入れろ!私!」
自分に喝をいれた。
駅に着くと、私の目の前に誰かが立ちはだかった。
ビクッとしながらも、恐る恐る顔をあげた。
…彼だ!
一回り小さくなったような彼が、頭をかいている。
「あ、あの…。
す、好きですっ!付き合ってもらえますか⁉」
彼はこわばった顔で、必要以上に大きな声でそう言った。
私は、彼と向き合っているという状況さえも現実の事とは飲み込めずに、ポカーンとしてしまった。
ハトが豆鉄砲くらったような顔…
まさに、そんな顔をしているのか?
何が何だか、さっぱりわからない。
「あ、ごめんなさい。彼氏…いますよね…突然すみませんでした。」
その場にいる事が恥ずかしくなったのか、慌てて彼は立ち去ろうとした。
「ちょっ!ちょっと待ってっ!」
私も固まった口を強引に動かし、彼を呼び止めた。
「い、今のって告白ですか?わ、私に?」
支離滅裂だ。
「はい。それ以外に誰が?」
彼は少し吹き出しそうになりながら、そう答えた。
もう、冷静さを取り戻し、いつもの彼に戻っていた。
「あのぉ…私なんかでよければ…是非ともよろしくお願いしますっ!」
私が云い終わる前に、彼は完全に吹き出し、お腹を抱えて笑いはじめた。
「く、く、くっ、苦しい…面白いね、キミ。思ってたとおりだ。」
場の空気がすっかりほぐれていた。
それから、彼との交際は順調にスタートしていった。
そして、夢の中の出来事は現実となった。
彼のおばあちゃんが沖縄に住んでいて、私達は夏休みを利用して、そのおばあちゃんの家に遊びに行く事になった。
彼のおばあちゃんの家は、まさに、あの夢の中の家そのものだった。
そして、私達を歓迎する為に近所の方々が集まり、盛大な宴会となった。
さすがに、そこでいちゃついたり、キスなんて事はしなかったが、ファーストキスは沖縄の浜辺だった。
潮風のせいなのか、少ししょっぱい味がした。
「今日の事、ブログに書いてね。」
「あぁ、わかった。」
潮風が私達を包み、二人は肩を寄せ合い夜の海を眺め続けた。
口の中の潮の香りが何故か懐かしく思えた。