甘く焦らして追いつめて
至福
 先生は……。

 私の恩師であり、上司でもある。

 建築士専門学校で出会ったせいで、上司になって2年も経った今も呼び方は「先生」のまま。

 独立して事務所を持っている傍ら、学校で講師役も担っている先生は非常に忙しい。

 同じ会社に通っているのに、数日顔を見ないことなんて、ザラ。

 今回なんてもう、2週間も顔を合わせていない。来る日も来る日も出張だの講演だので、事務所にいない。

 学生の3年間、ずっと秘めていた想いを社会人になって流れで告白してしまったものの意外にうまくいき、これで晴れて恋仲になれると喜んだのも束の間。今度は恋人としての時間がとれない。

 休日の今日も、先生は出張中。早ければ、午後には帰宅する予定らしいが、予定が未定になることも多々有り、期待して裏切られるのも慣れっこだ。

 もし、電話がかかってきたら、出よう。

 控えめでありながらも、熱く期待してしまう。

仕事の邪魔をしないために、こちらから電話をしないと徹底するだけで随分疲れる。

更に疲れている要因は、部屋の片づけなどは既に2日前から済ませてしまっていること、昨日の夜は念入りに髪の毛をトリートメントしたこと……。

うまくいけば今日の午後から次の日の朝までずっといられるかもしれないという妄想も何度も何度も繰り返し、気付けば数えきれないほどの溜息も何度も何度も繰り返している。

 現状は、非常に期待しながら、布団の中でパジャマのまま電話を待っている状態。

 さすがに、完全に着替えて化粧していたのに会えませんでした、という自分を現実化したくはない。

 ピンポーン。

 予期せぬ音が鳴る。

 私はまさかと思いながらも、急く心臓を口で息をすることで緩和し、覗き穴で確認するや否や玄関のドアを勢いよく開けた。

「あぁ、起きてた?」 

 聞き終わるより先に両腕を伸ばし、腰を掴もうとして遮られる。

「はい、お土産。カニ買いたかったけど紗瑛(さえ)が食べるの面倒だって言うと思ったからお菓子にしたよ」

 目の前に差し出されたのは、北海道の大定番、白い恋人。

 2週間ぶりに会えたのに、まずお土産?

「せんせぇ……私に白い恋人と恋人になれって言いたいの?」

 スーツ姿のまま革靴を脱ぐ先生の背中は、出張明けのせいか、かなり疲れて見える。

「ん? 白い恋人好きじゃなかった?」

「あの、そうじゃなくてぇ……」

 先生は壁の掛け時計を見ながら「まだ10時ならパジャマでも当然か」と呟く。

「ってゆーか、話逸らさないでください!! 久しぶりで私、すごく嬉しいのに……。でも近くにいるなら電話してくれれば、私だって用意して外出られたのに」

「そういえば、紗瑛」

 先生はベッドの側のカーペットに地べたに座り込んで、立ち尽くした私を見上げた。

「風邪引いて、納期ギリギリだったらしいな」

 イキナリ仕事の話……。でも、納期はギリギリだったけど、ちゃんと間に合わせたのに。誰なの、余計なこと耳に入れたの……。

「もう体調はいいのか? 病院には行った?」

 優しい目で心配してくれるのは、嬉しい……けど。

「うん……早くから行ってたんだけど、なかなか治らなくて……」

 言いながら、私はベッドに腰かける。

「悪いな。1人に任せずに、誰かと分担させれば良かった」

 先生はこちらを見ずに、後悔したように溜息をつきながら言った。

「でも! 今回はたまたま体調が悪くなったからギリギリだったけど、そうじゃなかったらうまくいってました! ……信用してもらえないかもしれないけど。多分、できてたと思います」

「いや、俺の指示ミスだ。1人に任せるには量が多すぎた」

 確かに、1人で抱えるには重い感じがした。だけど、信用してくれたからこそ、あれだけの仕事を与えてくれたんだと自信につながっていたのも確かだ。

「だから、体調がたまたま悪かっただけだって言ってるのに……。

……なんか、仕事が遅かった、みたい。

確かに同期の子よりは遅い時もある。先生もそれを何回も言うけど、私だって、ちゃんと分かってる。分かってるから意識してます!!」

 先生の視線を強く感じたけど、そっちを見る気にはなれなかった。

「ま、スピードはどうであれ、結果的には間に合ったんだから良かったよ。今度からは人選も含めて考え直す」

 何でそんな風に!!

 私が責任を感じて努力したことや、体調悪くても残業していたことも、全部どうでもいいと言っているみたいに聞こえた。

「分かりました。じゃあもっと効率良くやる方法考えます。今から仕事するから、帰って下さい!!」

 ふいっと顔を逸らして先生が出て行くのを待つ。こういった場合、先生は必ず言われた通りのリアクションをとる。

 せっかく2週間ぶりに2人きりで会えたのに、喧嘩するなんて最悪だ。

 だけどこんな大切な時間にそんなどうでもいい話題、先生が持ち出して来るから!!

「……じゃあ、帰る前に1つだけ」

 先生は予想通りすんなり立ち上がって、静かに私の手の上に自らの手を重ねた。

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